えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』を読みました

選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

2019年31冊目の読書レポートは、『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(著 河合香織/文藝春秋 初版2018年10月15日)。発刊してすぐに大きな反響を呼んだことは知っていましたが、読まずじまい。先頃、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したということで手に取りました。

本書は、羊水検査の結果を医師から誤って伝えられたために、ダウン症の子を出産した母親が、夫婦だけでなく、生後3カ月で亡くなった子供についても損害賠償を求めて起こした裁判を軸に、「出生前診断」をめぐり綴られたノンフィクション。

自身も妊婦健診でダウン症の疑いを指摘された経験を持つ著者が、訴えを起こした母親だけでなく、様々な立場の人―羊水検査を受けられずダウン症の子を産んだ母親、ダウン症児の里親、胎児が無脳症と診断されても出産した母親、中絶の現場に立ち会う医師と助産師、強制不妊手術について国家賠償請求を提起した原告の女性、障害者団体、日本で初めて大学を卒業したダウン症の女性など―を丹念に取材してまとめたものです。

そもそも日本で中絶が認められるのは、「身体的理由」か「経済的理由」だけ。胎児の障害を理由とした中絶は認められていないはずですが、それが認識されているとはいえません。

羊水検査で異常を指摘された妊婦の9割近くが中絶を選択。法律とは無関係に、中絶が行なわれているのが実態のようです。

ところが、そのギャップはずっとタブー視されてきたため、「障害を持つ胎児の命を奪うことが許されるのか」という議論は尽くされているとは言えないとのこと。

そんな状況に一石を投じたとも言えるのが本書であり、著者は、出生前診断に関係する当事者たちの姿、声を通して、出生前診断に潜んでいる問題を明らかにし、「命の重さ」や「命の選択」の持つ意味を、私たちに問いかけています。

とにかく重く、深いテーマ。立場が変われば考え方も変わり、何が正しいとか、何が誤っているとか、単純に割り切れる問題でないことは確かです。

ただ気になったのは、現在の出生前診断がダウン症を見つけることが目的のようになっているとの指摘。

だとすると、ダウン症の方々やその家族の悲しみや怒りは、どれほどのものかと考えてしまい、まして検査を受ける理由が「ダウン症の方々が長く生きて社会で生活するから」という言葉を聞くと、心はさらに痛みます。

また本書にあるように、胎児の遺伝子検査が進み、障害や疾病につながる遺伝子(例えばアレルギーになりやすい遺伝子、ガンになりやすい遺伝子とか)がさらにわかるようになったら、一体どうなるのか。“命の線引き”が行われる機会が増えることにはならないのか。深く考え込んでしまいます。

科学の進歩はいろいろな事を可能にしてきました。しかし、それにより私たちは思いもよらない事態に直面していることに、今更ながら気づかされました。

週末に近くの公園をジョギングしていると、障害を持つお子さんと一緒に散歩している家族連れによく出会います。その姿を見ると、ついつい大変だろうなと思ってしまうのですが、考えてみると、それは、本当はどうなのかを知らないまま、勝手に思い込んでいるだけです。

出生前診断について、“ガイドライン”的なものはもちろん必要でしょう。その一方で、障害者と健常者が分け隔てなく暮らすことができる、障害を持つ子供が生まれても家族が経済的・精神的な負担を感じないで済む、そして障害者やその家族を見ても誰も「大変だ」とは思わない。そんな社会になれば、命の選択で悩み、苦しむこともなくなるのではないか。

理想的過ぎるかもしれませんが、本書を読み終えてそんなことを思いました。

『新宿の迷宮を歩く 300年の歴史探検』を読みました

新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検 (平凡社新書)

2019年30冊目の読書レポートは、『新宿の迷宮を歩く 300年の歴史探検』(著 橋口敏男/平凡社新書 初版2019年5月15日)。書店で目にして手に取りました。

もうかなり昔、上京して下宿先の荻窪に向かう途中、中央線の車窓から見える西新宿の高層ビルに“東京”を実感しました。

それ以来、東京の繁華街のなかで新宿は身近な存在。
学生時代は、映画を見たり、トースト食べ放題の喫茶店で駄弁ったり、歌舞伎町の雀荘で麻雀をしたり、三丁目の焼鳥屋で大騒ぎしたり…。悪友たちとの思い出は尽きません。

そして今、新宿はもっぱら買い物の街。定期券という恩恵があることもあり、紀伊國屋書店にはしょっちゅう立ち寄り、ヨドバシカメラや東急ハンズにもよく行きます。

本書は、新宿歴史博物館の館長である著者の案内で、新宿の歴史を通して、巨大繁華街新宿の姿と魅力に迫るもの。

新宿駅と周辺の街並みや暮らし、新宿のルーツである内藤新宿、東京を代表する繁華街「歌舞伎町」、芸術家や文化人たちと新宿との関わり、新宿御苑と玉川上水、そして浄水場からビジネス街となった新宿駅西口。様々なテーマから新宿の歴史を探訪していきます。

現在は乗降客数世界一の新宿駅も、明治18年(1885年)開業当初の乗降客は1日50人ほど。伊勢丹の建物は新宿のデパート第1号の「ほてい屋」を合体したもの。芥川龍之介の父は新宿二丁目で牧場を開いていた。歌舞伎町は武蔵野の風景が広がっていた。歌舞伎町に児童文学の拠点「赤い鳥社」があった。新宿御苑はマスクメロン発祥の地。新宿駅西口に大規模なタバコ工場があった。

次々に登場するエピソードは初めて知ったことが多く、面白い話ばかり。また「談話室滝沢」、「二幸」、「さくらや」、「コマ劇場前の噴水」、「新宿ミラノ座」など懐かしい名前にも再会し、忘れていた記憶が蘇ってきました。

印象的だったのは、新宿と文化人とのつながり。佐伯祐三、林芙美子、夏目漱石、芥川龍之介、中原中也、永井荷風、内田魯庵、内村鑑三、小泉八雲…。名だたる人たちが新宿で過ごしていたことに驚くとともに、演劇や映画など、新宿は「文化の街」であったことにも改めて気づかされました。

今ではなかなか感じ取れませんが、新宿が“若者文化の発信地”になったのは、必然的なことだったかもしれません。

本書には新宿の街歩きマップが、解説付きで全部で10ルート収録されています。いつも何気に歩いている道にも見所がたくさん。実際に歩いてみて、新宿の魅力をもっと感じたくなりました。

『なぜ人は騙されるのか 詭弁から詐欺までの心理学』を読みました

なぜ人は騙されるのか-詭弁から詐欺までの心理学 (中公新書)

2019年29冊目の読書レポートは、『なぜ人は騙されるのか 詭弁から詐欺までの心理学』(著 岡本真一郎/中公新書 初版2019年5月25日)。書店で目にして手に取りました。

本書は、社会心理学の専門家である著者が、人の行動や考え方に影響を与えようとする言動(=説得)に焦点をあて、心理学的な観点から、「広告」、「特殊詐欺や悪徳商法」、「政治家や官僚の言い逃れ」、「フェイクニュース」と「説得」の関係について考えるもの。

まず第1章で「説得」の基本原理(メカニズム)を解説。人間は考える前に行動しており、プライミング(前もって示された刺激)、係留点(基準になる数値)、確証バイアス(先入感)が無意識のうちに行動に影響していること。

また、説得を受けいれるかどうか決めるプロセスには、中身を吟味しないヒューリスティック(発見的)処理と、内容を熟慮するシステマティック(体系的)処理の二つがあり、興味がないことやよく知らないことは、ヒューリスティック処理をしがちであること。

さらに、「脅し」、「丁寧な表現」、「話し方」、「尋ね方」などによって、受ける印象が変わり、行動も変わるといったことが、わかりやすく説明されています。

そして第2章以降で「広告」、「特殊詐欺や悪徳商法」、「政治家や官僚の言い逃れ」、「フェイクニュース」を取り上げ、この基本原理との関係や働きなどを検証。

私たちがなぜ広告に惑わされ、特殊詐欺や悪徳商法に騙されるのか。政治家や官僚はどのように言い逃れるのか。フェイクニュースを信じ込むのはなぜなのか。具体的な事例などをもとに明らかにし、「安易に言いくるめられない、騙されない」ための方法についても、示しています。

本書を読むと、そもそも何が正しいのかという問題はさておき、正しい判断をするということが、人間にとって至難の業であることがよくわかります。

芸能人のもっともらしいコメントや、わけのわからない“実験”とか“成分”に誘導されたり、ポイントや値引きに心が奪われたりするのは、逆説的かもしれませんが、「心が正常に働いている証」と言えなくもありません。

しかし、だからといって「騙されるのは仕方ない」ということにはならないはず。著者は、ごまかし、悪質商法や詐欺、間違った発言、フェイクニュースに騙されないためには、人間の行動の多くは無意識的なものであることを自覚したうえで、少し立ち止まり、説得(誘導)する側の視点から考えることが大切だとしています。

「人の言うことを何でも真に受けない」、「自分の気持ちに疑いを持つ」、「他の人の意見を聞いてみる」といったことになるのかもしれませんが、それができれば、幾分なりとも物事を冷静に考えられるようになるでしょうし、相手の意図も見えてきそうです。

それにしても、人間の心の動きは不思議であり、ときに厄介なものだとつくづく思ってしまいます。