えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『カラー版 王室外交物語 紀元前14世紀から現代まで』を読みました。

カラー版 王室外交物語 紀元前14世紀から現代まで (光文社新書)

2021年14冊目の読書レポートは『カラー版 王室外交物語 紀元前14世紀から現代まで』(著 君塚直孝/光文社新書/初版2021年3月30日)。SNSで知り、手に取りました。

君塚先生の著書を読んだのは、昨年の『エリザベス女王』(中公新書)以来になります。

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 本書は、「王室外交」の歴史をたどりながら、封建時代の名残とも思われがちな王室や皇室が、現代においても重要な意味を持つことを「外交」の視点から明らかにするもの。

まず、今から3500年前(紀元前14世紀)、エジプトで始まった「外交」を出発点として、ギリシャ、ローマなど古代国家における外交の展開を描写。

次に、15世紀のイタリアで生まれた「近代外交」の広がりと、16世紀から近代にかけての「宮廷外交」の絶頂と終焉について解説。

そして、現代の「王室外交」の象徴である、エリザベス女王の外交の様子を紹介し、最後に日本の「皇室外交」を振り返り、王室・皇室が行う外交の意義を確認します。

古代から現代まで進む話は、歴史の講義そのものでしたが、「外交」を切り口にするところが新鮮。

外交で重要な「対等」の考え方が記された古代エジプトの「アマルナ文書」、「常駐大使」と「大使館」の登場、500年前に途方もないスケールで行われた外交イベント「金襴の野の会見」、フランス語が外交の“公用語”になった理由、戦争と革命に翻弄される宮廷外交、イギリスを支えるエリザベス女王の“潤滑油”としての役割…。

話はどれも興味深く、また「カラー版」と銘打っているだけあって、掲載されている数多くの写真や絵画も印象的でした。

面白かったのは、王室の高貴で華やかなイメージとは対照的な「席次」や「序列」、「先例」をめぐる人間臭さについて。

庶民には縁のない、メンツ争いのようなものですが、然るべき人たちにとっては、譲れない“こだわり”なのでしょう。

ベルギー国王の葬儀で受けた“仕打ち”にへそを曲げたイギリス王室のエピソードやエリザベス女王の“ブルーリボン外交”の話は、なかなか大変なものです。

一方、日本の皇室外交の足跡も心に残るもの。中でも、昭和天皇訪米の際(1975年)、ホワイトハウスで行われた晩餐会での「おことば」には、胸があつくなりました。

君塚先生によれば、立憲君主制の特長は「継続性と安定性」。本書を読むと、その特長は、外交においても現れていることがわかります。

王室(皇室)外交ができるのは今や限られた国だけ。露骨な政治的利用はさすがに許されませんが、国家・地域の対立が目立ってきた現在の国際関係においては、大きな力になりそうです。

ただしそのためには、王室(皇室)が国内外から尊敬される存在あることが何よりも大切。そうでないと、“絵に描いた餅”になってしまうでしょう。

ところで、本書には、イギリス・ウィンザー城で撮影された、若き日の徳仁天皇とエリザベス女王夫妻の写真が掲載されています。

先日フィリップ殿下が亡くなられ、思い出して写真を見直したのですが、何ともいえない感慨を覚えました。

『ヤンデル先生の ようこそ!病理医の日常へ』を読みました。

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2021年13冊目の読書レポートは『ヤンデル先生の ようこそ!病理医の日常へ』(著 市原真/清流出版/初版2021年3月10日)。SNSで知り、手に取りました。

著者(ヤンデル先生)の本に出合ったのは、一昨年出版された『Dr.ヤンデルの病院選び ヤムリエの作法』(丸善出版)が初めて。昨年は『どこから病気なの?』(ちくまプリマ―新書)を読みました。

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 これまで読んだのは、医師の立場から専門的な知見を読者に提供するものでしたが、本書は、病理医の仕事のことや、先生の仕事観、人生観などを綴ったエッセイ。

「病理検査室1日体験ツアー」で、病理医の日常を体験することから始まり、先生の代名詞でもある「ツイッター」について、自身の考え方を紹介。

続いて、病理医になるまでの道のりと病理医に対する思いを語り、そして、人生で免れない四つの苦悩「生・老・病・死」について、先生の考えを明らかにしています。

お医者さんといっても、普通の人にとって病理医は遠い存在。それだけに、仕事の内容は興味深いものがあり、その重要性もよくわかったのですが、先生が病理医を志した理由や、多難な日々を乗り越え、病理医にやりがいを感じるようになった“生成変化”の様子も印象的。

「病(やまい)の理(ことわり)を考えるために全力を尽くす」とか、「情緒を技術と責任の下に引きずり込む」といった言葉には、仕事に対する真摯な姿勢が感じられました。

一方、面白かったのはツイッターの話。

先生によれば、ツイッターの本質は「発信用ツール」ではなく、「同期するツール」であり、「呼応するツール」。「発信は、受信の反射光のようなものです。」という言葉は新鮮でした。

また、「医療情報を広く伝えようとすることは専門家としての矜持である」として、そのためにSNSをどう使うか、深く考えているのも目を引くもの。

一方的な主張をただ繰り返したり、ひたすら承認を求めたりする人たちとは一線を画していて、ツイッターのフォロワーが13万人近くいる理由がわかる気がします。

先生は最後に、天国にいる祖母のエピソードを交えて、「幸福」について考えています。

先生によれば、「幸福」は、目の前にある現象が内心の“ストーリー”とぴったりハマっているときに訪れるもの。

ちょっと分かりにくい感覚ですが、「幸福」は自分の心の中にこそあるということを、改めて思い起こしました。

 

『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』を読みました。

サラ金の歴史-消費者金融と日本社会 (中公新書 2634)

2021年12冊目の読書レポートは『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(著 小島庸平/中公新書/初版2021年2月25日)。書店で目にして手に取りました。

 

もう20年以上も前に、仕事の関係で大手サラ金の研修施設を訪ねたことがあります。

施設が立派なだけでなく、担当の方も社員教育に熱心で、サラ金のイメージが一変させられました。(本書でも社員教育について記述があります)

本書は、東京大学大学院准教授で日本経済史が専門の著者が、1960年代に誕生したサラ金の歴史を、その前後1世紀にわたり、「金融技術」と「人」(創業者・従業員・利用者)の視点から振り返るもの。

多数の文献を分析し、家計の内部構造(夫と妻の“せめぎあい”)にも着眼しながら、日本の社会や経済の変貌と不可分であったサラ金の栄枯盛衰を、多角的に描いています。

金を貸すにはリスキーな存在だった戦前のサラリーマン。そのサラリーマンに、“手軽な副業”として推奨された貸金業。

人々の「義務感」と「競争意識」が生んだ高度経済成長期の電化製品の普及拡大とそれを支えた月賦・割賦販売。

「現金を月賦販売する」という発想から生まれた主婦向けの「団地金融」。

“表の金融”にこだわり、理想を掲げて貸金業の地位向上を目指した、サラ金創業者たち。

60年代の人事評価システム(「情意考課」)が生み出した、出世のための“前向き”な資金需要と、小遣い制のサラリーマンのため、その資金確保に応えたサラ金。

石油危機をきっかけに、生活費の穴埋め(“後向き”)の借入申込が増加し、融資対象として取り込まれていく女性や低所得者。

「男らしさの価値体系」を背景に、自殺を選ぶ男性多重債務者。

貸金業規制法がもたらしたサラ金の“冬の時代”を、銀行との関係強化、リストラ、社内体制の整備で乗り切り、急成長を実現した1990年代。

今世紀に入り長引く不況で貸し倒れが増大。改正貸金業法がきっかけとなって厳しい状況に追い込まれ、銀行の傘下に組み込まれた現在…。

図表やグラフを交えて進む著者の話は明快で、興味深いことばかり。サラ金の成長と停滞の背景、社会や家庭との関係、サラ金の持つ革新性と影の部分がよくわかりました。

高金利や過酷な取り立は社会問題となり、サラ金に対するマイナスのイメージはなかなか拭えません。

けれど、社会がサラ金を必要とする一方、必要とされるためにサラ金が技術を磨き、努力してきたことも紛れもない事実。

そこに冷静に目を向けなければ、サラ金を正しく評価することはできないと思い知りました。

「わずかであっても金融機関に金を預けている私たち自身が、究極的にはサラ金の金主だった。」という著者の言葉が、頭から離れません。