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『家族の歌 河野裕子の死を見つめて』を読みました

家族の歌 河野裕子の死を見つめて (文春文庫)

2017年47冊目の読了は、『家族の歌 河野裕子の死を見つめて』(河野裕子・永田和弘・永田淳・永田紅・植田裕子/文春文庫 初版2014年8月10日)です。先日読んだ『歌に私は泣くだらう』(永田和宏/新潮文庫)の解説で本書が紹介されていて、気になって手に取りました。産経新聞で連載された河野裕子・永田和弘夫妻とお子さんたちのリレーエッセーが2011年に単行本で出版、その後単行本に未収録の連載と河野裕子さんの未発表エッセー、さらに河野裕子・永田和弘夫妻の往復書簡を収録して本書が発刊されました。

産経新聞での連載が始まったのが2009年9月。河野さんの乳がんの再発がわかったのが前年の7月なので、家族は残された時間がそう長くはないことを意識しつつ、さまざまな思いを抱えながらエッセーを綴っています。

『歌に私は泣くだらう』を読んで感じたのですが、河野さんは再発を告げられて、自分なりの「覚悟」はされたのだと思います。そのためか、河野さんのエッセーのテーマは、懐かしい思い出を振り返るものが多くあります。一方、残されていく家族は、病気にふれたくない気持ちもあって、初めは日常的なテーマが多いのですが、河野さんの病状が進むにつれ、内容は微妙に変わっていきます。

2010年7月に掲載された娘の紅さんの『家』と題するエッセーでは、「身近に病人をもつと、今までは当たり前であった季節のめぐりが悲しい。コスモスの咲く頃、皇帝ダリアの咲く頃、という未来があり、時間は花をかかげてやってくる。その花が咲くまでには、否応なく大切な時が消費されてゆく。どんな時間も、必ずくることが怖い。」と、心情を吐露していて、切実な思いが胸に迫ってきます。

永田さんは、家族とは時間の記憶を共有する者だとして次のように続けます。『「あの時の…」と言えば、すぐに誰かがその<時>を取り出して相槌を打つ。それが家族なのかも知れない。家族の中では、時間はいつまでも、そしていつでも取り出すことができる』(2009年9月16日掲載「時間の記憶を携えて」)。このリレーエッセーは、まさに誰かがその<時>を取り出すと、ほかの者がそれに相槌を打つというものであり、家族の営みそのものです。家族にとっては、エッセーを書くことにつらさを感じた場面もあったと思いますが、エッセーが家族の絆をより強くし、エッセーにより家族の記憶がより深く共有されことは間違いありません。

永田さんは連載の最後の回で次のように書いています。『二人がいっしょにいられるからこそ大切な時間なのだ。そんな当たり前のことにも、普段はほとんど気がつかないままに生活している。終わりがもうそこに見えていますよと宣告されて初めて、私たちは「残された時間」が有限であることに愕然とする。』『二人に残された時間は、あと何年などとは考えられなくて、あと何日かと思わざるを得なくなったとき、初めてそのかけがえのなさを実感する』(2011年3月26日掲載「この世の時間」)。限りある時間の大切さを、心底知った者だけが言うことができる、重みのある言葉です。
そこまで追い詰められた経験はありませんが、自分も同じように感じるときがいつか必ずやって来ると思ったとたん、少しせつない気持ちになりました。

読後感(よかった)