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『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』を読みました

戦前日本のポピュリズム - 日米戦争への道 (中公新書)

2018年16冊目の読了は、『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』(筒井清忠/中公新書 初版2018年1月25日)。書店で目にして、手に取りました。

今「ポピュリズム」は世界各国で注目される政治現象ですが、著者は「ポピュリズム」が“大衆の人気に基づく政治”ということであれば、日本ではすでに戦前から行われ、その結果日米開戦にまで至ったとしています。

本書ではそれをふまえ、日露戦争後の「日比谷焼き討ち事件」から始まって、「朴烈怪写真事件」「統帥権干犯問題」「満州事変」「五・一五事件」「国際連盟脱退」「帝人事件」「天皇機関説事件」「近衛内閣誕生」といった歴史的事件をとりあげ、そこで見られるポピュリズムに基づく政治の実態を、文献や新聞記事なども引用しながら明らかにしています.

大正から昭和初期にかけての嫌軍的風潮や軍縮ムードが、満州事変を契機に一変。軍部が台頭しやがて戦争へ突き進んでいくという歴史の流れは、紛れもない事実ですが、それをポピュリズムという切り口で考察するというのは例がなく、興味深く読みました。

なかでも印象に残ったのは、政党政治によって地域社会が政友会系と民政党系に分極化してしまった結果、天皇を中心として、警察・官僚・軍隊のような中立的と考えられていた勢力によって社会が統合されることが、国民の側から望まれるような構造が存在していたという指摘です。政争に明け暮れた政党政治が軍部の台頭をもたらしたというのは周知の話ですが、政党政治に対する国民の嫌悪感を軍部がうまく利用したとしたら、それはまさにポピュリズムに違いありません。

それにしても、「新聞が国民を扇動した」と言われることがよくありますが、当時のマスメディア(主に新聞)の報道ぶりには驚かされます。既成政党に対する批判を繰り返したり、軍部の意向や購読部数(購読者の目)を気にしながら、手のひらを返すように主張を一変したり、五・一五事件の裁判を情緒的に報じたり、近衛文麿の長男をアイドルのように扱ったりと、大衆の空気を醸成した役割は極めて大きいものがあります。

もっとも、マスメディアが世論の形成や空気の醸成に影響を及ぼしているのは、今も同じです。しかも現在は新聞だけでなくテレビ、ラジオ、インターネットと多様化し、さらにSNSという新しいメディアは、ポピュリズムを生み出す要因になっていると言われるほど力を持つようになり、もはや見過ごすことはできません。

著者は、このような状況の中、ポピュリズムにつながりかねないマスメディアの報道のあり方や政治に対する国民の意識に危惧を抱いています。
誤った道を二度と歩まないためには、まずは「政治家なんかみんな同じ」とか「誰がやっても変わらない」といった意識を捨てること、そして政治家の出自や経歴に目を奪われず、主張に対してしっかり耳を傾けることが大切なことだと思います。そして、「メディアが流す情報にはフィルターがかかっているものがある」、「匿名で発信される情報には根拠が乏しいものがある」といったことも忘れてはならないでしょう。

昨年、『ポピュリズムとは何か』(著 水島治郎/中公新書)を読んで、ポピュリズムは絶対悪ではないという考え方を知りました。しかし、ポピュリズムが排他的・独善的であることは否めず、決して健全なものではないと思っていましたが、本書ではその怖さを知ることになりました。

読後感(考えさせられた)