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『戦乱と民衆』を読みました

戦乱と民衆 (講談社現代新書)

2018年64冊目の読了は、『戦乱と民衆』(著 磯田道史 倉本一宏 F・クレインス 呉座勇一 /講談社現代新書 初版2018年8月20日)。書店で目にして手に取りました。

本書は、2017年10月に国際日本文化研究センターで行われた公開シンポジウム「日本史の戦乱と民衆」をまとめたものです。

このシンポジウムは古代から幕末まで、戦乱の中を生き延びる庶民の姿を、手紙、日記など当時の人々の生の声から考察しようというもの。本書には、磯田、倉本、クレインス、呉座各氏による講演と講演後の座談会、そして後日、井上章一氏と榎本渉氏を交えて行われた座談会の内容が収録されています。

最初に登場する倉本氏のテーマは『白村江の戦いと民衆』。古代の資料から、戦いの様子や捕虜・帰還兵たちのその後について話がされています。

倉本氏によると、朝鮮半島出兵の目的は百済(現在は「くだら」ではなく「ひゃくさい」と読むそうです)の救援ではなく、国内の危機感をあおって権力基盤を固めることだったそうです。それが無謀ともいえる悲惨な戦いとなるわけですが、わけもわからず、何の準備もなく戦いに駆り出された農民兵は気の毒としか言いようがありません。

倉本氏の話では、最後にあった「白村江の戦い」が「壬申の乱」の勝敗に影響を与えたという指摘にも新しい発見がありました。

二番目に登場する呉座氏のテーマは『応仁の乱と足軽』。僧侶の日記などをもとに、「合戦で活躍する軽装の歩兵部隊」と「略奪に精を出す悪党・強盗」という足軽の二面性や「土一揆」と足軽との関係を明らかにしています。

足軽と一揆は地続きであり、民衆は生き延びるためには手段を選ばず、時に応じて反権力的になったり、権力の手先になったりするという話に、戦乱の世にいる民衆の必死さがひしひしと伝わってきました。誰も守ってくれないなら自分で守るしかないということでしょう。

三番目に登場するクレインス氏のテーマは『オランダ人が見た大阪の陣』。オランダ商人の書簡やイエズス会士の報告書などを紹介し、大阪冬の陣・夏の陣の様子と民衆の動向を分析しています。

外国人の目を通して大阪の陣の様子が記されているのが新鮮で、ルポルタージュのような内容から当時の様子をよく知ることができます。オランダ商人とイエズス会士では徳川家康(徳川軍)に対するイメージが違っているという指摘も面白く感じました。

最期に登場する磯田氏のテーマは『禁門の変-民衆たちの明治維新』。商人の日記や新聞記事などから、禁門の変の状況や京都の民衆の「焼け野原体験」を描き出しています。

禁門の変で京都が丸焼けになったというのは、今回初めて知りました。開戦前の民衆たちに危機感がなかったのは意外でしたが、被害の大きさと戦災に苦しむ人々の姿には驚かされました。もっとも、臭気漂う武士の遺体から金品を集め、商売の元手にした民衆もいたようで、いつの時代でも、戦争をバネにするたくましい人間はいるものだと感心します。

磯田氏の話では、この戦災からの復興が遅れたことが、維新後に京都が首都になれなかった理由の一つだという指摘も興味を覚えました。

各氏の話に歴史の面白さを実感しましたが、歴史というのは、戦争や災害を懸命に乗り越え、生き延びてきた民衆の物語でもあるということに改めて気づかされます。

読後感(面白かった)