2019年10冊目の読書レポートは、『しびれる短歌』(著 東 直子・穂村 弘/ちくまプリマ―新書 初版2019年1月10日)です。書店で目にして手に取りました。
短歌の本を読むことはそう多くないのですが、読むと自分でも作ってみたいという気持ちになります。ただ熱意が足りないため、いつもそれで終わってしまい、なかなか“作歌”まで至りません。
本書は、著名な歌人である東直子氏と穂村弘氏の対談集。お二人が、「恋の歌」、「食べ物の歌」、「家族の歌」、「動物の歌」、「時間の歌」、「お金の歌」、「固有名詞の歌」、「トリッキーな歌」の8つのテーマに沿って、新旧200首近い作品を取り上げて評釈し、歌に込められた作者の思いや、歌に表現された時代性などについて語り尽くしています。
出てくる作品は、タイトル通り“しびれる”ものばかり。思いがけない視点や表現に感心し、何気ない日常の風景が目に浮かび、微妙な感情の動きにはっとする。お二人の深く鋭い解釈があってこそですが、短歌の面白さを改めて感じました。
私のなかで印象に残った作品を紹介します。
まず「恋の歌」ではこれ。
『夜道ゆく君と手と手が触れ合ふたび我は清くも醜くもなる』(栗木京子)
「清く」という言葉は今や古めかしく感じますが、若いときの揺れ動く心情は、いつの時代も変わりません.
「食べ物の歌」で印象に残ったのは二つの作品。
『同棲をしたいと切り出す妹の納豆の糸光る食卓』(鯨井可菜子)
いつもと違い少し緊張感が漂う朝食の風景。「納豆の糸」に表現されている姉の少し冷めた感じが心に残ります。
『冷や飯につめたい卵かけて食べ子どもと呼ばれる戦士であった』(雪舟えま)
“冷たい卵かけご飯”を躊躇なく食べる子供を「戦士」に例えるのが面白い。何か事情がありそうな感じもします。
「家族の歌」では三つの作品が印象に残りました。
『「奥さんは元気」とふっと聞く妻をお前さんだときつく抱きしむ』(渡辺光男)
妻は目の前の人が誰かわからない。それでも夫の妻への愛情は揺るぎません。夫の情が心にしみてきます。穂村さんによると、老夫婦の歌では、夫が妻を詠んだものは「いい感じ」の作品が多く、妻が夫を詠んだものは、そうは限らないそうです。
『ひさびさに真正面から妻を見る電車のなかの対面の席』(菅沼貞夫)
長い結婚生活を振り返って感慨にふけっているよう。ちょっと乾いた感じがして、妻との関係が気になります。
『君に掌を握られて死ぬというわれに備へて老妻はジム通い始む』(大建雄志郎)
ロマンチックな夫と現実的な妻。ありがちな話ですが、男女の鮮やかな対比がおかしみを誘います。
「時間の歌」は二つの作品が印象的。
『靴靴靴おんなじ靴ってないもんだ今この時間このホーム上に』(杉本葉子)
靴は人生でしょうか。一瞬の時間の中にさまざまな人生が交差。人々が忙しく行き交う駅の雑踏がイメージされます。
『父母もまた百年前の祖父祖母も五月の町を二人で歩く』(原沢敏治)
父母と祖父母そして自分が、時空を超えて一緒に肩を並べて歩いているよう。連綿と続く家族の歴史は、作者ならずとも何か特別なものを感じます。
「固有名刺の歌」ではこの作品が印象的。
『夕陽はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで』(仙波龍英)
渋谷にPARCOが建ち始めた頃に詠われたもの。当時はアイロニーだったはずの「墓碑」という言葉が、今は妙に現実的なものとして重く感じられます。
最後の「トリッキーな歌」で、驚いたのは何といってもこの作品。
『(7×7+4÷2)÷3=17』(杉田抱僕)
カッコなな、かけるななたす、よんわるに、カッコとじわる、さんはじゅうなな。と読むそうで、計算は合っています。これが短歌といえるのかよくわかりませんが、強烈な作品であることは確かです。
わずか31文字で、時代や人間を表現する。短歌を詠むのはすごいことだと、今更ながら思います。