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『世界の核被災地で起きたこと』を読みました

世界の核被災地で起きたこと

2019年23冊目の読書レポートは、『世界の核被災地で起きたこと』(著 フレッド・ピアス/訳 多賀谷正子 黒河星子 芝瑞紀/原書房 初版2019年2月27日)。書店で目にして、手に取りました。

東日本大震災後に起きた福島第一原発事故は、地域住民に大きな傷を残しました。しかし、事故後8年経ってもその傷は癒えないままで、先行きは見通せません。

本書は、世界的に著名な環境ジャーナリストである著者が、世界各地の核被災地(核に関係する事故・被ばくの現場や放射性廃棄物を抱える地域)を取材し、歴史的視点を持ってまとめたルポルタージュ。

被災地の住民や事故関係者などの話を交えて、事故・被ばくが起きた当時の状況や原因を明らかにし、核被災地の現状や問題点を綴ったものです。

本書では、広島、長崎、ビキニ環礁(第五福竜丸)、福島、そしてスリーマイル島やチェルノブイリはもちろん登場します。しかし、世界にある核被災地は、それだけではありません。

冷戦時代、各国で繰り返された核実験は、実験地に留まらず広範囲に渡って放射性物質をまき散らし、実験場跡地には放射性物質の痕跡が残ったまま。

1957年には、アメリカ、ソ連、イギリスの核施設で大規模な火災、爆発事故が発生。水爆を搭載したアメリカの爆撃機が、1966年にスペイン沖、1968年にはグリーランド沖に墜落。

しかし、驚くような事故が発生しても、すぐに明るみには出ることはなく、住民に危険が知らされることもありませんでした。秘密主義的なところ(隠ぺい体質)は、その後のスリーマイル島やチェルノブイリでも見られ、今もなお続いているようにも思えます。

そして現在、重くのしかかるのは、原発の廃炉作業と放射性廃棄物の処分問題。「処分にかかる費用が全世界で1兆ドル、数万年に渡って放射能の危険が残る」といった途方もない話や、「プルトニウムがテロリストに狙われる」といった恐ろしい話に、原発のもたらすものは便益だけではないことを実感しましたが、それは日本が今直面している問題でもあります。

ところで著者は、放射能の恐ろしさは認めつつ、放射能が人体に及ぼす影響は十分解明されていない、また民生利用の核は思っているよりはるかに安全だと言及し、放射線に対する過剰反応については疑問を呈しています。

「福島の大惨事で、健康への影響が現れた原因は、放射線ではなく、事故がもたらした避難所生活とストレス、失業、社会秩序の崩壊だ」という指摘は、日本ではあまり聞かないもので、避難のあり方について考えさせられました。

もっとも、それでも著者は、「この先50年経っても、核の主唱者は、多くの人が感じる核の恐怖を和らげることはできない」としたうえで、「原子力は廃れ行く産業であり、私たちには、原子力発電所の廃炉を見届け(もちろん核兵器の廃絶も)、環境に残された負の遺産をできる限り処理する使命がある」と明言しています。

その主張が妥当なものか判断する術を持ちませんが、核にしろ何にしろ、危険がいっぱいなものを後生大事に持ち続けるというのは、よほどの理由がない限り、理屈に合わないことは確かです。

ところで、本書を読んで気になって調べてみたところ、2010年、総発電量に占める原子力発電の割合は25%。それが東日本大震災後の2016年はわずか2%。それで総発電量が大きく落ち込んだということも、電力危機に見舞われたこともなく、天然ガス、石炭、石油を使った火力発電が肩代わりしています。

もちろん、それだけで「もう原発は不要」と決めつけるのは早計過ぎるでしょう。けれど、電力会社や原発関係者の利益だけを考えて、原発を稼働したり、守りぬこうとしたりするのは勘弁してほしいものです。

先日の報道によれば、期限までにテロ対策施設が設置できない原発は、原子力規制委員会により運転停止が命じられるとのこと。電力会社には戸惑いや不満もあるようですが、本書を読めば、それがいかに重要なことかよく理解できるはずです。