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『「雪風」に乗った少年 十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』を読みました

「雪風」に乗った少年 〔十五歳で出征した「海軍特別年少兵」〕

2019年24冊目の読書レポートは、『「雪風」に乗った少年 十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』(著 西崎信夫/編 小川万海子/藤原書店 初版2019年2月10日)。書店で「海軍特別年少兵」の文字が目にとまり、買い求めました。

本書によれば、「海軍特別年少兵」というのは、日本海軍が昭和16年に創設した制度。14歳以上16歳未満の少年を全国から採用して、長期間の特別教育を行い、将来の中堅幹部を養成することが目的でした。

しかし、戦況の悪化により方針が転換。兵力を補充するため、教育期間が短縮され、16、7歳の若者たちが、一般志願兵と同様に戦場の第一線に立つことに。

その結果、昭和17年に入団した第一期生は約2000名(入団員3200名の63%)、昭和18年に入団した第二期生は約1200名(入団員数3900名の31%)もの戦死者を出し、「昭和の白虎隊」とも評されているそうです。

ところが、制度が根付く前に戦争が終わったこと、結果的に一般志願兵と同じような立場になってしまったこと、また募集の際に海軍飛行予科練習生(予科練)のような宣伝が行われなかったこともあって、多くの犠牲者を出しながら、「海軍特別年少兵」は歴史に埋もれてしまい、ほとんど知られていません。(編者は、兵士の下限を定めたジュネーブ条約との関係で、歴史の闇に葬られた可能性を指摘しています)

著者は、15歳でこの「海軍特別年少兵」の第一期生として広島・大竹海兵団に入団。訓練終了後、奇跡の駆逐艦ともいわれる「雪風」に乗艦し、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄の水上特攻をくぐり抜け、何とか生き残ります。

本書は、その著者が書いた戦争体験記をもとに、編者の執筆による制度の概要解説とコラムを加えてまとめたもの。著者の体験記では、郷土の誇りと讃えられて出征していく様子、海兵団での厳しい訓練の日々、そして「雪風」での生々しい戦闘体験が詳しく語られています。

実体験に基づく話は、どれも印象に残るものでしたが、やはり戦闘場面は息を呑むほど凄絶なもの。爆弾、銃弾、魚雷による容赦ない敵の攻撃。必死に応戦しながら次々に斃れていく将兵たち。不沈艦と言われた戦艦「大和」の無念の最期。尊い命を簡単に奪ってしまう戦争のむごさが、強く胸に迫ってきました。

ところで、本書を手に取った一番の理由は、私の父がこの「海軍特別年少兵」最後の第四期生だったことです。

父は著者と同じ15歳で舞鶴の平海兵団に入団。ただ、入団して3カ月ほどで戦争が終わったからか、この頃の話はほとんどしたことがなく、年少兵のことで私の記憶に残っているのは、銃剣術で教官から誉められた話を、中学生くらいのときに聞いたことくらいのもの。志願した理由や訓練の内容を、私から尋ねることもありませんでした。

けれど、その父も昨年春に死去。そうすると不思議なもので、もっと話を聞いておけばよかったという気持ちが湧き起こり、その思いは増すばかり。そんなときに出会ったのが本書です。

優秀な少年を集めるため学校や役場を通して行われた募集、難しい選考試験(選ばれたのはそのほとんどが級長やクラスの一、二番の優等生だったそうです)、超スパルタの教育・訓練、そして実戦で奮闘する様子。

本書を読んでようやく「海軍特別年少兵」の実態を知ることができて、15歳の父の姿がおぼろげながら目に浮かんできました。

著者は、軍隊の理不尽さ、戦争の悲惨さを訴える一方で、「海軍特別年少兵」に選ばれ、多くの人に見送られて出征したときの感激を忘れず、また、「雪風」で思う存分任務を遂行した誇りをずっと持ち続けていて、それが人生の支えにもなっているようです。

「海軍特別年少兵」に志願したのは、家の事情で進学できなかった者が多かったそうですが、それは父も同じ。だからこそ、口には出さなかったものの、難関を突破して「海軍特別年少兵」に選ばれたことは、父にしても心のよりどころだったかもしれません。

そう思うと、わずか15歳で軍隊に入ろうとした父の心情が余計胸にしみてきます。

今日から令和となりました。平成は戦争のない時代でしたが、14歳、15歳の少年を戦争に追込むような時代は、もう二度と来ないでほしいと願わずにはいられません。