えむと、メモランダム

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『平成テレビジョン・スタディーズ』を読みました

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2019年26冊目の読書レポートは、『平成テレビジョン・スタディーズ』(著 太田省一/青土社 初版2019年5月8日)。書店で目にして手に取りました。

著者は社会学者で文筆家。略歴によれば、研究と著述のメインテーマは「テレビと戦後日本社会の関係」ということで、テレビ文化論的な著書を多数執筆されています。

著者によれば、平成はテレビにとって“大開拓時代”。さまざまなアイデアや才能を持つ制作者・演者(開拓者)が、昭和とは違う新たな番組(街)をつくり、できるだけ多くの視聴者(住民)を街に受け入れようとしました。

それは、時代が昭和から平成に移り、日本の社会が根底から変容していくなか、高度経済成長と一心同体だったテレビも変化を迫られたからに他なりません。

本書は、著者が雑誌『ユリイカ』などで発表してきたテレビに関係する様々な論考を加筆・修正し、書き下ろし原稿を加えて、その“開拓史”を考察するもの。

まず第Ⅰ部では、「紅白歌合戦」、「東京ソング」、「赤塚不二夫」、「女子アナ」といったテーマから、昭和と平成に起きたテレビの変化を振り返り、第Ⅱ部では「トーク番組」、「旅番組・散歩番組」、「タモリ」を取り上げてバラエティ番組の変化について考えます。

続いて第Ⅲ部では、平成を特徴づける「深夜ドラマ」を中心としたドラマ論を展開。そして第Ⅳ部では、「SMAP」、「モーニング娘」、「AKB48」……アイドルたちの“卒業”と“引退”という視点からアイドルと社会との関係を論じています。

「素人が感じさせるリアルさが平成のテレビにとっては番組開拓の足掛かり」、「“もっと日常を!”が平成バラエティの合言葉で、旅番組や散歩番組はその帰結」、「平成のテレビは、阿川佐和子、タモリといった“子どものようなおとな”というロールモデルを生んだ」、「散歩番組の隆盛は、テレビが非日常的な“ハレ”のメディアから日常的な“ケ”のメディアに変わりつつありことの表れ」。

思いもよらぬ指摘は、言われてみればその通り。ページをめくるたび「なるほど」と思いながら読んでいたのですが、著者ならではのテレビ論・タレント論は実に面白く、着眼には驚いてしまいます。

とりわけ興味深かったのは、ドキュメンタリー性と社会性を帯びた存在として語られる「アイドル」についての話。

「バブル崩壊以降、社会のコミュニティに綻びが目立ち始めた日本社会にとって、個人の自立が集団としての強さにもつながっているSMAPの姿に、個人と集団の両立の理想形を感じ取っていた。」

「個人が孤立しがちになる平成の社会において、平成アイドルは個人に寄り添い、ともに手を携えるパートナー的存在になった。」

「平成の不安な日常のなかでそれぞれの自己の生き方を模索する同世代の女性たちにとって、安室奈美恵は人生のパートナーであった。」

アイドルについてここまで深く洞察するとは、ただ感心するばかり。平成アイドルは昭和アイドルとまったく違う存在であることを知って、安室奈美恵さんの引退が社会的に大騒ぎになった理由が、ようやくわかった気がしました。

お茶の間で家族がそろってテレビを見るというのは遠い昔の話となり、今はスマホやタブレットを使って、一人一人が様々な映像コンテンツを楽しむ時代。

しかし、そんなことでテレビの力が弱まることはないでしょう。どんなに時代が変わろうとも、時代がテレビをつくり、テレビが時代を映し出す―この関係はこれからもずっと続くに違いありません。

令和の時代はどんなテレビ番組を生みだすのか、どんなタレントが社会に影響を及ぼすのか。本書がきっかけでテレビの見方も変わりそうです。