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『日本大空襲 本土制空基地隊員の日記』を読みました

日本大空襲 (ちくま学芸文庫)

2019年44冊目の読書レポートは、『日本大空襲 本土制空基地隊員の日記』(著 原田良次/ちくま学芸文庫 初版2019年7月10日)。新聞広告で目にして、手に取りました。1973年に中公新書として刊行された『日本大空襲(上)』と『日本大空襲(下)』を合本しての復刊です。

著者は1917年に山形・鶴岡に生まれ、1938年に福井高等工業学校(現 福井大学工学部)を卒業後、陸軍第一航空教育隊に入隊。1944年(昭和19年)から千葉県松戸の飛行第五十三戦隊に所属し、下士官として飛行機の整備を担当していました。

本書は、持っていた文庫本の余白に密かに書いていた著者の日記に、文献・資料をもとにした「注記」(解説)を加筆してまとめたもの。

日記には、米軍による日本本土空襲が本格化する昭和19年11月から日本の敗戦に至るまで、空襲の様子と被害状況、日本軍の戦いぶり、疲弊していく兵士たちの日常、若くして斃れていく戦友への思い、次第に募っていく戦争に対する疑問、そして死が迫る中で揺れ動く著者の心情がありのまま綴られ、「注記」では、各地における空襲の状況などが詳しく説明されています。

繰り返されるB29の来襲に対して日本がどのように戦ったのか、また空襲の広がりや被害はどのようなものだったのか。本書でその実態を知りましたが、改めて実感したのが日米の歴然とした力の差。

格段に見劣りする戦闘機の性能。届かない高射砲の弾。さらには劣悪な食糧事情により空腹に苛まれる兵士たち。これで「戦え」というのは無理というより無謀な話です。

戦い方を工夫し、兵器を改良しても正攻法では戦果が上がらず、最後はB29に体当たり攻撃をしていく搭乗員たちに言葉もありません。

そして、空襲の被害も悲惨そのもの。東京、大阪、名古屋といった大都市だけでなく、中小都市にも激しく爆弾が落され、本土決戦に備えるため戦闘機が温存されるようになるとまさに無防備状態。

本書に掲載されている都道府県別の空襲の被害状況をまとめた表によると、空襲による死者は約30万人で、行方不明者は約2万4千人。空襲の被害がなかったのは石川県と鳥取県の2県だけという有様です。

頼みの軍隊は守ってくれず、降り注ぐ焼夷弾に怯えながら逃げ惑う市民の姿を想像すると、心が痛みます。

著者は、「日本航空部隊は、敵と対決するに値しない、科学を拒否した大和魂と劣弱な兵力とで苦戦したことは、哀しいことであるばかりか、そのためにもたらされた市民の惨禍と兵士の辛酸を想うと、いまもその想出は、胸にいたく、ことに、そのために死んでいった人々や兵士の意味はなんであったろうかと考えると、その哀しみはさらに深まるばかりである。」と述べています。

空で戦った搭乗員は、戦闘機の力の差を肌で感じたことでしょう。現実を突き付けられ、無力感を味わったかもしれません。それでも逃げることを許されず、自分の命を捧げて戦わざるを得ない。それが戦争のむごいところです。

著者は、日記のなかで幾度となく戦争の愚かしさについて考え、精神主義に凝り固まった日本軍を憂い、また自分の人生の意味を深く見つめています。

29歳の誕生日には、「この戦争で死ぬことがわが世代の運命」、「いま顧みて豊かな人生の過去もなく、また期待される華ひらく未来とてないままに、この戦場果てるであろう」などと、“死の覚悟”を日記に記しているのですが、その悲痛な思いは著者だけでなく、戦争に臨んだ多くの若者が抱いたものでしょう。

そんな悲しい時代は、もう二度と来て欲しくありません。そのためには、戦争を知らない世代こそが、戦争についてもっと関心を持たなければならないのだと思います。