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『叱られ、愛され、大相撲!「国技」と「興行」の一〇〇年史』を読みました

叱られ、愛され、大相撲! 「国技」と「興行」の一〇〇年史 (講談社選書メチエ 709)

今年53冊目の読書レポートは、『叱られ、愛され、大相撲!「国技」と「興行」の一〇〇年史』(著 胎中千鶴/講談社選書メチエ 初版2019年9月10日)。書店で目にして、手に取りました。

著者は台湾史が専攻の歴史学者。大相撲の鶴竜のファンで、「スー女」(相撲女子)でもあるそうです。

著者によると、現在の日本相撲協会は、「興行」と「国技」の板挟みで困り続けていて、「叱られ体質」にあるとのこと。

確かに、力士や親方が“事件”を起こし、相撲ファンのみならず多くの国民から非難され、謝罪に追われるというのは、珍しいことではありません。

ただし、それは今に始まったことではなく、1925年に大日本相撲協会(現在の日本相撲協会の前身)が成立し、「賜杯」というお墨付きを得て以来90年以上に渡りずっと続いているのだそうです。

本書は、「興行」と「国技」という二つの側面から、大相撲の100年の歩みを綴ったもの。

国民的な興行スポーツとして愛される一方で、「相撲は国技」と標榜したがゆえに、常に厳しい視線を浴びて叱られてきた姿が、著者が掘り起こしたエピソードを通して明らかにされていきます。

登場するのは、幼い頃から、大相撲を愛してやまなかった昭和天皇。

日本の植民地時代に、大阪相撲を中心に盛んに行われた台湾巡業。

「相撲体操」を考案し、全国の児童に向け普及に努めた謎の相撲教師。

‟頭脳派力士”として、講演や執筆活動といった文化的活動を精力的に行った関脇「笠置山」。

中国大陸で戦う日本兵のために、精神的・身体的負担を抱えながら行われた慰問相撲。

“進駐軍の娯楽”とみなされたために、敗戦の混乱からいち早く実現した復活。

力士の華やかな活躍場面などほとんどなく、戦前の、しかもよほどの相撲通でなければ知らないような話が大半。

しかし、そんなサイドストーリー的な話の中で、興行と国技の間で右往左往する大相撲の姿が浮き彫りになっていて、興味深く読みました。

面白かったのは、慰問地の兵隊たちが慰問相撲に期待したのが、粛々とした真剣勝負ではなく、「初っ切り」や「飛び入り」といった娯楽性のあるものだったということ。

今でも、「押し出し」や「はたきこみ」といった技で、あっけなく勝負がつくとがっかりしますが、何はともあれ“楽しいこと”が相撲の本質かもしれません。

暴力沙汰や無気力相撲はもちろん許されることではありません。けれど力士達に「国技」という裃を着せて、「相撲道」を極めさせるというのは、何だかとても窮屈そう。

それよりも、一生懸命稽古を積んで、手に汗握る力相撲をふんだんに見せてほしいものです。