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『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』を読みました

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2020年27冊目の読書レポートは『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』(著 西田亮介/朝日新聞出版/初版2020年7月30日)。書店で目にして手に取りました。

このところ、コロナウィルスの国内感染者は増加するばかり。今日(8月1日)も東京の感染者数は過去最多を更新しました。

一方、政府は経済優先で、緊急事態宣言の再発出はまったく考えていない様子。

「今は4月の状況と違う」と言われても、急激な右肩上がりのグラフを見ていると、このままで本当に大丈夫なのか、不安は拭えません。

本書は、このコロナ危機により引き起こされた人々の“不安”、が政治や社会にどのような影響を及ぼしたのか、気鋭の社会学者である著者が考察したもの。

WHOや厚生労働省の資料などをもとに、今年5月頃までのウイルス拡大の様相と政府の対応を検証したうえで、コロナ危機で浮かび上がってきた、政治、社会、メディアの抱える課題・問題を分析。

そして次の有事において、不安あるいはリスクと向き合うために政治、社会、メディアはどうあるべきか考えていきます。

本書によれば、新型コロナウィルスに対する日本政府の初動は、新型インフルエンザの経験をもとにした事前の備えや訓練通りのもので、WHOからは評価もされました。

ところがその後、クルーズ船対応、総理の初会見の躓き、メディアとSNSの共振、全世界での感染者数の増加などにより不安は拡大し、妙手だったはずの「アベノマスク」や「コラボ動画」の“成果”は今一つ。

そこに「検察庁法の改正」といった政治スキャンダルも重なって、「感染の不安/不安の感染」が政治不信を招く事態となり、内閣支持率は低下。

著者によれば、それを気にした政府は、“耳を傾けすぎる政府”と化し、前例を踏まえず、合理性を失ったまま、世論(=“わかりやすい民意”=ワイドショーやネットの話題)に迎合するかのように「大胆な決定」「大胆な政策」を乱発。

しかし、不透明な予算の使い道、事業者選定の不正疑惑、実施事業の遅れといった問題も露呈し、不信感は残ったままであることが指摘されています。

一連のコロナ騒動で湧き起った「不安」が、政治や社会にどのように作用したのか、話は明快で頷くことばかり。

本書を読んでいるときに、ちょうどGoToトラベルのドタバタに出くわし、場当たり的になりがちで、不安・不満を解消するどころか、混乱を招くだけになってしまう“耳を傾けすぎる政府”の本質を見た気がしました。

「民意に寄り添う」というのは耳に心地よい言葉ですが、民意の捉え方がずれ、都合のいいように寄り添われてしまうと、国民は思いがけないリスクに曝されてしまうということがよくわかります。

もっとも著者によれば、今起きていることは、何も政治だけの問題ではありません。

大事な役割を放棄し、政府や自治体の発表をうまく切り取って、センセーショナルに流すだけのメディア。

過去を忘れ去り、議論や対話を避けてわかりやすいものだけに反応し、被害者意識にとわれる人々。

いずれもコロナ危機以前からも見られたものですが、これを克服しないと、有事であろうが平時であろうが、同じことが繰り返されるでしょう。

“耳を傾けない政府”は社会と断絶していますが、“耳を傾けすぎる政府”は社会と表裏一体。「場当たり的」という批判は、そのまま社会にも向けられているということを、自覚する必要がありそうです。

それにしても、治療薬やワクチンが早く開発されないか、思いは募るばかりです。