2020年38冊目の読書レポートは『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか 人糞地理学ことはじめ』(著 湯澤 規子/ちくま新書/初版2020年10月10日)。書店で目にして手に取りました。
数年前に、小学生向けの『うんこ漢字ドリル』が大ヒットし、話題になりました。そのネーミングにはびっくりしましたが、本書のタイトルも随分思い切った感じです。
本書は、法政大学人間環境学部教授で、地域経済学、地域産業史、人文地理学を専門とする著者が、身近な存在でありながら“汚物”と呼ばれるウンコについて、歴史的・社会的な観点から考察するもの。
ウンコの意味的解釈をしたうえで、中世から現代へと時代をたどりながら、糞尿の扱いの変遷とそれに伴う人々の意識の変化を、様々な資料をもとに明らかにし、そこから見える社会の様相について言及しています。
ちなみに「ウン」はいきばる声、「コ」は接尾語だそうです。
江戸時代に糞尿が「商品」として取引されていたことは知っていましたが、ウンコの歴史など考えたこともありません。
中世においては、畏怖・信仰の対象として、人々の精神世界と深く関係したものが、近世では「資源」として利用されるようになり、「宝物」に。
ところが近代になると、新しい肥料が生まれ、都市化が進むなかで、お金を生む「商品」から、お金を出して処理してもらう「廃棄物」へと変化。
それからは「汚物」として忌み嫌われ、排除されるものとなり、そして今では「忘却」される運命に。
たかがウンコ、されどウンコ。ウンコの歴史は思いのほか奥深く、ドラマのよう。著者ならではの視点にも感心させられました。
また、江戸時代、糞尿の値段にはランクがあったことや、糞尿を肥料にするためには、それなりの技術と工夫が必要であったこと。
バキュームカーが導入されたばかりの頃は、珍しい車を一目見ようと人だかりができたこと。
お尻を拭く素材は、世界中で様々なものが使われてきたこと…。
ウンコにまつわるエピソードはどれも面白かったのですが、印象に残ったのは、下水処理から生まれる汚泥の話。
東京では、1980年頃、汚泥を資源化して肥料として販売していたとのこと。
ただしその後、下水道に様々な物質が混入するようになったために、肥料としては使えなくなったのだそうです。
命の循環のなかで重要な役割を果たしていたのに、次第に見向きもされなくなり、とうとう土に還ることもできなくなったウンコ。
人間は、便利さや快適さを飽くなく追求してきましたが、その陰で、大事なものをたくさん消し去ってきたのかもしれません。