えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

パリ管弦楽団 来日コンサート

昨日(15日)、東京芸術劇場で、日本ツアー中のパリ管弦楽団のコンサートがあり、足を運びました。

この秋から冬にかけては、パリ管のほか、ロンドン交響楽団、ボストン交響楽団、ベルリン国立歌劇場管弦楽団と、著名な外国オーケストラの来日が目白押しですが、問題はチケットの値段。いくらめったにない機会とはいえ、簡単には手が出ません。

ただそれでも、演目と気鋭のクラウス・マケラの指揮を見てみたいという気持ちから、パリ管はどうしても外せませんでした。

昨日はツアー幕開けの公演で、プログラムの前半は、ドビュッシーの交響詩『海』とラヴェルの『ボレロ』。

フランス人の作品ともなれば、パリ管にとっては十八番といったところでしょうが、演奏が始まってすぐに感じたのは「音が立っている」ということ。

『海』は色彩豊かでみずみずしく、『ボレロ』は迫力十分。前半が終わったところで、弦楽器・管楽器・打楽器の個性にあふれ、それでいて一体感ある演奏に、すっかり魅了されてしまいました。

プログラムの後半は、ストラヴィンスキーの『春の祭典』。

前半の興奮が冷めやらない中、演奏はさらにパワーアップした感じ。
独特のリズムの中で、多彩な音がダイナミックに響き渡り、白熱した演奏に只々圧倒され、酔いしれていました。

それにしても、名うてのパリ管を巧みに操るクラウス・マケラの指揮は、前評判どおりで、感心するばかり。

まだ20代半ばだけに、粗削りな印象もありましたが、若くしてパリ管の音楽監督に就任した実力を見た気がしました。大指揮者の仲間に入るのは、時間の問題でしょう。

来年はオスロ・フィルハーモニーとともに来日の予定があるようです。チケットの発売が待ち遠しい限りです。

『世界は五反田から始まった』を読みました。

読書ノート2022年No.19は、『世界は五反田から始まった』(著 星野博美/ゲンロン叢書/装丁 名久井直子/初版2022年7月10日)。地元の書店(くまざわ書店武蔵小金井北口店)で購入したサイン本を読みました。

五反田という地名で頭に浮かぶのは、駅のホームからも見える相生坂のこと。サラリーマン時代、重いカバンを持って坂を歩いたことが思い出されます。

著者が生まれ育ったのは、五反田駅からすぐ先の戸越銀座。実家は、祖父の代から続く小さな町工場を営んでいました。

本書は、一家の生活圏であり、著者が「大五反田」と名付けた五反田駅を中心とした半径1.5キロ圏(戸越銀座はその最南端)の、昭和初期から現在に至る歴史を振り返るもの。

祖父が遺した手記を糸口として、また様々な資料や、幼い頃の記憶も探りながら、自身のファミリーヒストリーを語り、そこから浮かび上がる大五反田の移り変わりと、戦争に翻弄された人々の姿を、五反田への思いを込めて綴っています。

本書によれば、第一次大戦後、大五反田は工業地帯として急速に発展したそうです。
大工場の下請けを行う町工場も増え続け、著者の祖父が、昭和11年に戸越銀座に構えた金属部品の工場も、その一つということになります。

今、戸越銀座の次に出てくる言葉は“商店街”。“町工場”のイメージは湧いてきません。

それだけに、本書で紹介されている一家の暮らしぶりは興味深く、大五反田が町工場に支えられた「軍需城下町」であったことには、驚かされました。

また、小林多喜二、宮本百合子のエピソードを通して描かれる、五反田界隈の工場で働く低賃金労働者(無産者)の人たち。

千人を超える人たちが「転業開拓団」として満州に渡ったものの、集団自決が起きて、わずか50数人しか生還できなかった武蔵小山商店街の悲劇。

「軍需城下町」だったせいで、東京大空襲の2倍の焼夷弾が投下され、星野家の住居も工場も焼け出されてしまった城南空襲。

初めて知った大五反田の歴史のひとコマは、心を捉えます。

そして、本書の内容とともに強く印象に残ったのは、家族の営みから地域の歴史を深掘りし、そこに日本の歴史を重ね、さらにこれから先を見通すという、著者の深い洞察。

とても著者のようにはいきませんが、自分の足元をよく調べたら、知らなかった世界がもっと見えてきそうで、自分自身の「大五反田」を探訪したくなりました。

ところで著者は、大五反田の戦争の惨禍を目の当たりにして、「死ぬ方法」ではなく、「生きる方法」についても考えを巡らせています。

大五反田を焼野原にした城南空襲の犠牲者は252名。10万人以上ともいわれる東京大空襲の犠牲者に比べて、格段に少なかったのは、法律で義務とされていた「消火」をするより、他人の目を気にせず、自分の頭で考えて、「逃げること」を優先した人が多かったからだそうです。

空気に流されず冷静に考える。危険を感じたら逃げる。それは、著者の祖父の生き方に通じるもので、祖父から著者への教えでもあるのですが、著者に限らず、胸に留めておくべきことに違いありません。

NHK交響楽団「第1962回定期公演」

昨日、NHK交響楽団「第1962回定期公演(Aプログラム)」があり、NHKホールに足を運びました。

2022-2023年シーズンの幕開けとなる公演ですが、ファビオ・ルイージさんの首席指揮者就任、NHKホール改修後初めての定演ということで、何か特別な感じがしました。

演奏前に、ルイージさんはもちろん、コンサートマスターの篠崎さんにも盛大な拍手が送られたのは、胸の高鳴りを感じた人が多かったからかもしれません。

新シーズン最初の演目は、ヴェルディの『レクイエム』。
ソリストは、ヒブラ・ゲルズマーワ(ソプラノ)、オレシア・ペトロヴァ(メゾ・ソプラノ)、ルネ・バルベラ(テノール)、ヨン・グァンチョル(バス)。合唱は新国立劇場合唱団。

シーズン幕開けの最初の曲が「レクイエム」と知ったときは、ちょっと意外な感じがしました。

ところがルイージさんによれば、この作品は「哀悼についての作品ではなく、私たちの人生の一部である死について前向きな気持ちを持つことができる作品」であり「悲しい作品ではなく、希望と美に満ちた作品」であるとのこと。

「レクイエム」の持つイメージが、すっかり変わったのですが、ソリスト、N響、合唱団が一体となった渾身の演奏は、まさにその言葉どおりのもの。

劇的で力強い音の響きに心は高揚し、静謐な歌声は心に沁み渡り、ステージを見つめながら、身じろぎもせず聞き入っていました。

圧巻の演奏に魅了され、終演後の拍手は鳴り止やまず。繰り返されたカーテンコールもいつまでも心に残りそうです。

ところで、今シーズンから、カーテンコールの様子を写真撮影していいことになりました。なかなか思い切ったものですが、最後にルイージさん、篠崎さん、郷古さん3人の写真が撮れたのは、新しい試みのおかげです。