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『日中戦争 前線と銃後』を読みました

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

2018年61冊目の読了は、『日中戦争 前線と銃後』(著 井上寿一/講談社学術文庫 初版2018年7月10日)。書店で目にして手に取りました。本書は、2007年に刊行された『日中戦争下の日本』(講談社選書メチエ)を改題し再刊したものです。

著者は、政治外交史を専門とし、現在は学習院大学の学長も務めています。昭和史に関する著者も多数執筆されていますが、本書では、「日中戦争とは何だったのか?」という問いに答えるために、中国で発行された兵士たちの投稿雑誌『兵隊』を始めとする様々な資料・文献をもとに、日中戦争に向き合った前線の兵士と銃後で暮らす国民の姿を示し、日中戦争と日本社会との関係を解き明かしています。

満州事変から日中戦争そして太平洋戦争終結に至るまでの14年間、日本は戦争の中にありました。しかし、太平洋戦争に比べると、日中戦争そのものについて語られることは少ない気がします。私も、「日本軍は点と線しか確保できず、事態打開のめどが立たないまま、ずるずると泥沼にはいりこんでいった」、「戦争が中国の人々に深い傷を残した」といった程度の認識しかありませんでした。

ところがそんな漠然とした認識は、本書で明らかにされている事実で一変させられます。

戦争が進むにつれ、戦争景気に沸き、緊張感どころか戦争に対する関心も薄れていく銃後。戦地への慰問袋が商品としてデパートで売られ、そのまま戦地に送られたというエピソードには驚いてしまいました。そんな銃後の姿に不満や不信感を覚え、日本に帰還してからは疎外感さえ味わう兵士たちの姿は印象的です。

また、中国人に、生まれ故郷の貧しさを重ねあわせ、共感すら覚える兵士たちがいたことや、兵士の任務が戦闘から警備になっていくと、日中両国の関係を「文化」によって見直すことが重要視されるなど、日中戦争のイメージは随分違うものになりました。

一方日本国内では、戦争によって、都市と農村、労働者と資本家、農民と地主など日本社会にあるギャップが顕在化。戦争遂行のために、社会を変革(平準化)しようという機運が高まりますが、それは労働者、農民、女性など弱者にとっては、格差が解消され自分たちの立場が変わるチャンスであり、戦争にその実現を賭けることになります。

“国民は戦争の被害者である前に、まして加害者意識を持つこともなく、戦争に協力することで、政治的、経済的、社会的地位の上昇を目指した”という著者の言葉は、思いもよらないものでした。

そのほか、“大政翼賛会は、戦前日本のデモクラシーを否定したものでなく、紆余曲折を経たデモクラシーの発展の結果だった” “日本は、アメリカからの本格的な空襲を受ける前に、すでに「モラルの焦土」と化していた” “戦後の日本社会は、戦争を経由して、戦前との連続において、再出発した” “戦後の農地改革によって土地の所有権を獲得した農民は、それを守るために保守政党の支持者となった” といった指摘も興味深く、新しい発見がありました。

今、格差問題はなくなるどころか日本を含め世界の至るところで見られ、被害者意識を押し立てた排外感情も強まっています。「普通の市民がいつのまにか戦争の加害者になる」という恐ろしさは、私たちにとっても決して無縁のものではありません。

読後感(考えさせられた)