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『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』を読みました

立憲君主制の現在: 日本人は「象徴天皇」を維持できるか (新潮選書)

2019年1冊目の読書レポートは、『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(著 君塚直隆/新潮選書 初版2018年2月25日)です。

学校の授業では、日本は立憲君主制の国で、天皇は日本国民統合の象徴だと教わりました。普段そのことについて深く考えることも、意識することもほとんどありません。

しかし昨年12月、誕生日会見での天皇陛下の胸に迫るお話を聞き、いよいよ代替わりが間近だと実感していたところで、本書が目にとまりました。

本書は、イギリス政治外交史の専門家である著者が、君主制の歴史と現状を明らかにし、「立憲君主制」について考察したものです。

まずイギリスの歴史から、立憲君主制が練り上げられ、生き残っていった過程をたどって、なぜイギリスが「立憲君主制の母国」と言われるようになったのかを解説。

そして、イギリス、北欧(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)、ベネルクス(オランダ、ルクセンブルク、ベルギー)、アジア(タイ、ブルネイ、サウジアラビア)における立憲君主制の現状(君主の役割、王室の動向、国民との関係など)や日本の象徴天皇制の課題などがわかりやすく説明されています。

初めて知ることばかりで興味深く読んだのですが、立憲君主制国家の多くが民主主義を尊重し、政治的・社会的に安定して経済的にも豊かであること(IMFの2015年GDPランキング上位30位のうち、17カ国が君主制国家だそうです)、イギリス、ベルギー、デンマークなどでは今なお国王が政治や外交に強い影響力を持っていること、北欧三国のように“時代遅れ”どころか21世紀の世界を先取りするような国があることなど、認識を新たにしたことが多くありました。

市民革命や戦争で君主制が崩壊していった歴史もあり、君主制と共和制それぞれに対する考え方は様々でしょう。しかし、分断と対立が進み、不透明性が増す今の世界において、継続性と安定性という特長を持ち、国家・国民をまとめる力を持つ立憲君主制が見直されているというのは、わかる気がします。

一方日本では、昭和、平成、2代の天皇がイギリスの立憲君主制を学び、君主や皇室のあるべき姿を追求していたようです。

平成になってからは、大災害の被災者の慰問、太平洋戦争の犠牲者の慰霊など天皇陛下の「新たな公務」を目にする機会が増えました。雲仙普賢岳の噴火後、天皇陛下がワイシャツを腕まくりし、膝をついて被災者に語りかける姿は、昭和天皇を見慣れた者にとっては衝撃的で、今でも目に焼き付いています。

そんな新たな公務には、「国民と共にある皇室」を目指す天皇陛下の思いを見ることができますが、思いを実現するには気力だけでなく体力も必要。高齢化により、その大切な責務を果たすことが難しくなってきたことが、生前退位の要因のひとつという著者の考えは、よく理解できるものです。

ところで著者は、日本の皇室の課題として「広報」と「公務を担う人材の確保」をあげています。

イギリスの王室のようにユーチューブ、ツイッター、フェイスブックやインスタグラムを駆使するのは難しいでしょうが、国民に寄り添っていこうとするのであれば、皇室をベールに包むのではなく、情報を適時・適切に開示することは大切なことに違いありません。

また、このままでは皇族の数は減るばかり。「国民と共にある皇室」の将来を考えると、「臣籍降下」という慣習を見直した方がいいという著者の主張は、検討に値するものに思えます。

立憲君主制は、もはや国民の理解と支持なくしては存立しないものとなっています。それは日本も同じ。だとしたら、皇室の努力を求めるだけでなく、私たちも皇室にもっと関心を持つべきではないか。本書を読んで思うこととなりました。

昭和天皇は祖父・祖母の世代。明仁天皇は父母の世代。そして徳仁皇太子は私と同世代。新しい天皇のもとで皇室がどう変化していくのか、この目でしっかり見ていこうと思います。