えむと、メモランダム

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『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』を読みました

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2021年18冊目の読書レポートは『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』(著 河合香織/岩波書店/装丁 森 裕昌/初版2021年4月6日)。書店で目にして手に取りました。

東京、大阪など9都道府県に出されている緊急事態宣言の期限(5月末まで)が迫っていますが、解除は厳しいようです。

ワクチンで希望の光りは見えているとはいえ、接種のゴタゴタや、オリンピックの議論は社会に波風を起こし、今更ながら、厄介なものが襲ってきたものだと思います。

本書は、昨年2月、政府によって設置された「新型コロナウィルス感染症対策専門家会議」の発足から廃止まで、5か月間の足取りを追ったノンフィクション。

著者の綿密な取材と関係者の証言を通して、未知のウィルスと格闘する専門家の姿が詳しく描かれ、政府や行政(厚労省)との関係も明らかにされています。

昨年の2月から7月といえば、コロナの正体もまだはっきりせず、日本は重い空気に覆われていたはず。

国民の不満や批判の矛先が専門家会議にも向けられ、「御用学者」とまで言われていた記憶がありますが、私も専門知識などないくせに、何か懐疑的だった記憶があります。

ところが、本書で知った専門家会議の実態は、そんな自分が恥ずかしく思えてくるものでした。

“あいまいな組織”で、態勢も万全とはいえないなか、感染拡大の防止に奔走するメンバー。(それが「前のめり」と見られました)

「無謬性の原則」のもと、手続きや言葉遣いにこだわる官僚たちとの軋轢。

身を粉にして働いているにもかかわらず、批判にさらされて体調を崩し、とんでもない理由で裁判を起こされ、殺害脅迫まで受ける理不尽さ。

専門家会議をときに無視し、ときに都合よく使おうとする政府。

そんな政府の姿勢を前に、決して唐突ではなかった専門家会議の廃止と改組。(ずっと政府の思惑ありきと思っていました)

最後は心身とも限界に近い状態に追い込まれ、私が同じ立場だったら「もう辞めたい」と言い出しそうです。

ところが専門家たちは違います。強い使命感のもと、専門家としての責任を最後まで全うしようとする姿は、ただ感心するしかなく、頭が下がる思いがしました。

とりわけ、「命をかけて闘う」として、会議をまとめていった尾身茂氏のリーダーシップは印象に残り、本書で紹介されている氏の言葉は心に響くもの。

「どんな相手でも正しい面や良い面はある。感謝の言葉を伝えるのは当たり前」

「リーダーは感情のプロである必要がある。もっとも重要で難しいのは怒りのコントロール」

「他人からの評価より大切なことがあります。自分の限りある人生で、みんなが何かその人がやるべきことをします。たまたま私はこういう仕事に就いて、微々たる力だと思うが、自分でできることをやってきた」

「自分が正しいと主張したいわけではない。問題があれば、ただ解決したいと思っただけです」

「現実の動きに即して、自分を日々新たにする必要がある。それは迎合とは違う」

「100%正しい人もいないのと同様に、100%間違っている人もいない」

尾身氏は読書家で、仏教や哲学の本を若い頃から読みあさり、聖書もよく読んだとのこと。

それだけが理由ではないでしょうが、ひとつひとつの言葉に深い見識が感じられ、テレビに映し出される穏やかな受け答えの奥には、強い信念があることを思い知りました。

割の合わない批判も浴びた専門家会議ですが、この活動がなかったら、去年の日本は、もっと悲惨な状況になっていたことでしょう。

専門家会議の果たした役割は、もっと理解され、もっと評価されるべきだと、心底思いました。