えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

五嶋龍ヴァイオリン・リサイタル

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昨夜はサントリーホールで、五嶋龍さんのヴァイオリン・リサイタルがあり、娘と出かけました。

人気のヴァイオリニストの3年ぶりのリサイタルツアーということで、チケットの入手は大変だろうと思っていたところ、案の定先行抽選は見事落選。一般発売日に賭けるしかなかったのですが、発売日当日、販売サイトは「回線が込み合っている」の表示が出るばかり。半ば諦めて、これが最後とクリックしたところ奇跡的につながって、運よくゲットすることができました。

会場は満席で8割くらいは女性。予想はしていましたが、人気の高さには感心させられます。

昨晩の演目は、シューマンの『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番ニ短調op.121』、イサン・ユンの『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番』、ドビュッシーの『ヴァイオリンとピアノのためのソナタト短調』の3曲。アンコール曲は、クライスラー、ドビュッシー、サン・サーンスの小品3曲でした。

五嶋さんの演奏を生で聴いたのは、今回が初めて。躍動と静謐のコントラスト、豊かな音色を奏でる繊細なテクニックが印象的でした。

特に、2曲目のイサン・ユンの『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番』のヴァイオリンの響きは、今まで味わったことがないもので、今も耳に残っています。五嶋さんはまだ30歳と若く、これから先どんな活躍をされるのかとても楽しみです。

リサイタルが終わった後、五嶋さんのサイン会が行われました。サービス精神が旺盛で感心したのですが、娘がどうしてもサインがほしいと言うので、私も女性だらけの列に並ぶことに。プログラムにサインしてもらい(左側にあります)、ファンの気分を味わいました。

余談ですが、五嶋さんはハーバード大学を卒業し、専攻は物理学。さらに日本語だけでなく、英語、フランス語、中国語が堪能となると、この人は一体何者と思ってしまいます。

『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』を読みました

戦後ゼロ年 東京ブラックホール

2018年55冊目の読了は、『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』(著 貴志謙介/NHK出版 初版2018年6月30日)。書店で目にして手に取りました。

本書は、昨年8月にTV放送されたNHKスペシャル『戦後ゼロ年 東京ブラックホール 1945-1946』が基になったもので、著者は番組のディレクターとして制作に携りました。

番組は、俳優の山田隆之さん演じる21世紀の若者が、焼け野原が広がる戦後ゼロ年[1945年~1946年]の東京にタイムスリップし、「焼け跡暮らし」「ヤミ市」「買い出し列車」「東京租界」といった生活を、当時の映像の中で追体験するという趣向のドキュメンタリー・ドラマ。私も見ましたが、映像と山田さんがうまく合成され、山田さんの視点から終戦直後の東京の姿を見ていくという手法に感心したことをよく覚えています。

ただ何といっても、番組で明らかにされる数々の事実には驚くばかり。廃墟のなかで、生きるか死ぬか瀬戸際の人々、それと対照的な進駐軍の兵士・家族の優雅な暮らし、国が音頭をとって用意した兵士相手の慰安施設、軍事物資の横領・隠匿・横流しとそれで成り上がる者たち、戦犯を免れ一転GHQに協力する元日本軍高級将校。初めて見る映像に目が釘付けになり、戦争に負け、秩序も権威も無くなると、こんな惨憺たることになるのかと思ってしまいました。

本書では、番組をなぞりながらも、資料・文献などによって厚みを加えて、放送するには差し障りがありそうなことも余すことなく書かれています。

ヤミ市の世界にあった「第三国人マーケット」の存在が警察とヤクザの関係を深めた。国民を戦争に駆り立てた軍人、政治家、官僚の多くが、国民のことなど忘れて、保身と利権の確保に走り、物資と情報を好き勝手に操作した。「国策売春施設」を準備するほど米軍の性暴力を恐れたのは、自分達(日本軍)が戦地でやったことが頭にあったから。進駐軍とのコネが混乱した社会で成功をつかむ最大の秘訣であり、闇社会最大の実力者は皇室とさえもつながりがあった。天皇をめぐる言論は、占領期の方が、いまよりはるかに自由闊達だった。

驚くこと、あきれること、やりきれないこと、考えさせられることが、次々に出てくるのですが、その中で特に印象に残ったのは、GHQの実態でした。

GHQによって戦前の“古い日本”が解体され戦後の民主化が進んだのはというのは、教科書でも習います。しかし本書を読むと、GHQ自体は必ずしも民主的とはいえず、また昨日まで敵だった軍人や右翼の大物を囲い込むなど、常に自分達、アメリカのために、“古い日本”をどうやって利用するかを考えていたことがよくわかります。

著者の「トランプ大統領を待つまでもなく、アメリカは冷戦時代から、強烈な“アメリカ・ファースト”の軍事国家で、その本質はいまも変わっていない」という言葉は、アメリカという国を考えるうえで強く心に残りました。

敗戦国である日本が、GHQの意のままになってしまうのは仕方ないことだったでしょう。しかし70年以上も昔、GHQとともに突如現れた得体の知れない「闇」が、わたしたちの社会に大きな影響を与え続けてきたことには、複雑な気持ちにならざるを得ません。

読後感(考えさせられた)

『日本百銘菓』を読みました

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2018年54冊目の読了は、『日本百銘菓』(著 中尾隆之/NHK出版新書 初版2018年7月10日)。カバーの羊羹の写真にひかれて、思わず手に取りました。

著者は旅行作家。40年にわたり5000種ほどの銘菓を味わい、TV番組「TVチャンピオン」(テレビ東京)の「全国お土産銘菓通選手権」に優勝したこともあるそうです。

本書は、これまで著者が味わった銘菓の中から「これぞ銘菓」だとする100種を厳選し、8つのジャンルー「死ぬまでに食べたい絶品銘菓」、「原点を伝える逸品銘菓」、「迷わず選びたい出張土産」、「歴史・風土が生きる伝統銘菓」、「知る人ぞ知る実力派銘菓」、「和洋折衷が楽しい新感覚銘菓」、「唯一無二のユニーク銘菓」、「本当は教えたくない我が偏愛銘菓」ーに分けてカラー写真とともに紹介したものです。

紹介されている銘菓の多くは、著者が実際にお店を訪ね、取材と名乗らず買い求めたもの。私にとっては知らないお菓子ばかりでしたが、写真を見ながら銘菓の歴史や製法を読んでいると、食べてみたいという気持ちがどんどん湧いてきました。

また、「温泉饅頭が全国の温泉地に広がったのは昭和天皇がきっかけ」、「煎餅づくりは空海(弘法大師)が伝えた」、「草加煎餅はもともと塩煎餅だった」、「鳩サブレーが売れ出したきっかけは"離乳期の幼児食に最適”という新聞記事」。銘菓にまつわるエピソードや著者のうんちくは面白く、本書は読み物としても楽しむことができます。

本書を読むと、伝統の味を守っていこうという老舗の思いや、地元の人たちの銘菓に対する愛情もよく伝わってきます。その土地その土地で、これだけのお菓子が長年にわたって作られているというのは、よく考えるとすごいことです。「和食」はユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、「和菓子」の文化も同じくらいの価値があると思いました。

100種のうち、私が食べたことがあるのは、「花園饅頭」、「京観世」、「博多通りもん」、「もみじまんじゅう」、「阿闍梨餅」、「東京ばな奈」、「萩の月」、「白い恋人」、「をちこち」、「カステラ」、「一六タルト」、「うなぎパイ」、「鳩サブレー」、「ままどおる」、「マルセイバターサンド」のわずか15種。しかも、残念ながら駅やデパートなどで手にはいるものばかりです。

できれば残りの85種類を全部味わいたいところですが、ハードルはかなり高そう。まずは、まだ食べたことがない東京の銘菓を買ってみようと思っています。

読後感(面白かった)