えむと、メモランダム

読み散らした本と出来事あれこれ

『潜匠 遺体引き上げダイバーの見た光景』を読みました。

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2021年17冊目の読書レポートは『潜匠 遺体引き上げダイバーの見た光景』(著 矢田海里/柏書房/装丁 藤塚尚子/初版2021年2月25日)。書店で目にして手に取りました。

本書は、社業の傍ら、海難事故や入水自殺の現場で遺体の引き上げに携わってきた潜水士(吉田浩文氏)を取材し、遺体捜索にまつわる“ドラマ”を綴ったノンフィクション。

吉田氏の半生を振り返りながら、凄惨で過酷な捜索現場のありのままの姿と、東日本大震災での救助活動や遺体捜索の様子が、克明に描かれています。

吉田氏の一家は祖父の代から潜水業。そのため自身も潜水の仕事に進み、遺体の引き上げを頼まれるようになります。

両親との確執、三度の離婚と四度の結婚、捜索をめぐるトラブル、数億円の借金と破産、海水浴場の警備の仕事がきっかけとなったどん底からの再起。

歩んできた道は、決して平坦ではなく、波乱に満ちたものですが、引き上げは“天職”ともいえるもの。

遺体に向き合い続けるあまり精神的に不安定になったり、捜索費用を踏み倒されたり、思いがけず大変な目に遭っても、優れた技能と経験を活かして、海に沈んだ「魂」を救うことに奔走する姿は印象的です。

けれど、困難をともなう捜索や引き上げの様子、海に沈んだ死者の姿は息を飲むもの。いくら警察や役所から要請があったとしても、遺体の引き上げなど、できれば避けたい仕事でしょう。

著者は、「水底に沈んだ遺体が、吉田氏にいたわりや慈悲の気持ちをもたらし、人間的成長につながった」と述べています。

葛藤や困難があっても、引き上げの仕事を続けてきたのは、人柄があってこそだと思いますが、見えない力も働いたからかもしれません。

ところで、吉田氏は「人の死には色がある」と語っています。

港で引き揚げた遺体は、「夜明け前の空のような深い群青色」、一方、震災以降の引き上げや、その遺体につきまとっていたのは、「重苦しいどす黒さ」。

それは吉田氏だけの感覚かもしれませんが、最期の瞬間の思いが色に出るというのは、決して荒唐無稽とも思えません。

ただ、どちらにしても深い悲しみの色には違いなく、切なさが心にしみます。

『ルワンダ中央銀行総裁日記』を読みました。

ルワンダ中央銀行総裁日記 [増補版] (中公新書)

2021年16冊目の読書レポートは『ルワンダ中央銀行総裁日記』(著 服部正也/中公新書/初版1972年6月25日)

50年前に発刊された本が、今話題を集めていると知って、手に取りました。

本書に限らず、ロングセラー本というのは数多くありますが、初版から半世紀経ってベストセラーランキングに登場するというのは驚きです。

本書は、1965年(昭和40年)、国際通貨基金の要請で、アフリカの小国ルワンダの中央銀行総裁に就任した著者が、経済の立て直しに奔走した6年間の日々を振り返ったもの。

日本銀行の職員だった著者は、46歳のときに、ベルギーから独立して間もないルワンダに赴任。

大幅な財政赤字、主要産業は生産性の低いコーヒーと錫鉱石の輸出だけ、質の低い役人と外国人顧問、既得権益にすがりつきルワンダ人に偏見の目を持つ欧米人…。

想像を絶する厳しい状況でしたが、大統領の信頼を得た著者は、平価切下げを始めとした経済改革を断行して経済再生に目途をつけ、さらに倉庫会社やバス公社の設立といったインフラ整備なども手がけ、発展への道筋をつけていきます。

仕事を“公”のものとして考え、どんな苦境の中でも諦めず、常に現場主義で臨む姿勢。

高い先見性と深い洞察力、相手が誰であろうと決してひるまない卓越した交渉力と、その裏付けとなる実務能力。

改革の原動力となった“ルワンダ人のため”という強い信念と、日本銀行の職員であるというプライド。

ルワンダ人だけでなく、多くの欧米人からも寄せられる信頼。

とても40代の人の仕事とは思えず、数々の困難を乗り越え、自分の使命を果たそうとする姿は、強く心に残ります。

当初は5か月の約束が6年間の滞在となり、最後は留任運動まで起きたそうですが、仕事の成果と厚い人望からすれば、当然といえるでしょう。

ちなみに、ちょっと面白かったのは、著者が、よく怒っていること。
「私は腹が立った。畜生…」、「…外国銀行の傲慢な態度に腹が立ってしかたがなかった。」、「私は正直なところ内心ムッとした」、「話を聞いて私は憤慨した。」

この率直さが、著者の人柄をしのばせますが、一時は腹が立っても、すぐに冷静になって、きちんと対抗するのが凄いところ。

“理不尽なことへの怒り”が気持ちを奮い立たせ、改革を後押ししたかもしれません。

ところで著者は、子供の将来を考えて、あえて妻子と共にルワンダに渡っています。

奥様は、生活環境の違いにかなり衝撃を受けたようですが、一言も愚痴を言わず、相当な努力で日々の暮らしを切り盛りしたそうです。

奥様がいてこそ、著者も仕事に打ち込むことができたともいえ、今はすっかり聞かなくなった、「内助の功」という言葉が頭に浮かんできました。

『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』を読みました。

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2021年15冊目の読書レポートは『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』(著 平松洋子 姜尚美/淡交社/デザイン 有山達也 岩淵恵子 中本ちはる/初版2021年1月30日)。

書店で目にして手に取りました。表紙の“稲荷寿司”と“海苔巻き”に心が奪われます。

本書は、月刊『なごみ』(淡交社)に連載された「東西おいしい往復書簡」を書籍化したもの。

東京に暮らす平松さんと、京都に暮らす姜さんが、自分のまちの「遺したい味(お店)」をそれぞれ12軒厳選。

取材をもとに、お店の来歴や様子、店主の思いなどを、往復書簡という形で綴り、印象的な写真とともに、その魅力を紹介していきます。

平松さんによれば、「星の数ほどの店がひしめく東京にあって、わずか十二軒の店と味を選ぶのは大海の一滴をすくうに等しい行為」とのこと。

そんな中で、平松さんが選んだのは、神田まつや(蕎麦)、たぬき煎餅本店、しみずや(パン)、どぜう飯田屋、カフェ・バッハ、ぽん多本家(カツレツ)、四谷志乃多寿司(稲荷寿司・干瓢巻)、隨園別館新宿本店(中華調理)、シンスケ(居酒屋)、深川伊勢屋(餅菓子・食堂)、御料理山さき(鍋料理)、ドーカン(レストラン)。

たんにおいしい店、好きな店ではなく、その店が「東京という土地の深層に分け入る存在であること」、「まちに堆積する時間と空間を旅する杖になり得るか」を意識して、選んだそうです。

一方、姜さんが選んだのは、上七軒ふた葉(うどん)、鶴屋寿(桜餅)、進々堂京大北門前(カレーライス)、平野とうふ、鳴海餅本店(赤飯)、冨美家(うどん屋さんの中華そば)、ひさご寿し本店(蒸し寿司)、キートス(天然酵母パン)、イノダコーヒ三条支店、グリル富久屋(洋食)、すぐきや六郎兵衛(漬物)、一文字屋和輔(あぶり餅)。

姜さんの生活そのもので、「遺したいというより、失うと困るもの」、「自分が思う生活というものを信じていたら、自然とそばに遺っていた味」とのこと。

お店の選び方に、それぞれの個性が現れるは当然とはいえ、風土や文化、暮らし方が深く関わっているのは面白いものです。

感心したのは、 京都と東京の違いを表した姜さんの言葉。
“「そうしておくものだよ」とたしなめられるのが京都なら、「こうしたらどうだろう」と言い合えるのが東京という指摘は、なるほどと思います。

本書に登場するお店の多くは、庶民には縁のない高級店ではなく、普段使いができるところ。

お店の歴史、「おいしいものを作り、届けたい」という店主の思いやこだわり、そんな大切なものがぎっしり詰まった品々を知って、ぜひとも訪ねて、その味をあじわいたくなりました。

ところで、本書を読みながら思い出していたのが、“遺したい味”ならぬ自分自身の“遺したかった”懐かしい味のこと。

母親が作ってくれた「クジラ汁」(故郷新潟の郷土料理です)や自家製の「そうめんつゆ」、小さい頃に食べた近所の食堂の「冷やし中華」、学生時代によく通った町中華の「カツ丼」…。

もう記憶の中でしか味わうことができず、とても残念です。