えむと、メモランダム

読み散らした本と出来事あれこれ

『飛行機の戦争1914-1945 総力戦体制への道』を読みました

飛行機の戦争 1914-1945 総力戦体制への道 (講談社現代新書)

今年65冊目の読了は、『飛行機の戦争1914-1945 総力戦体制への道』(一ノ瀬俊也/講談社現代新書 初版2017年7月20日)です。書店で目にして手にとったのですが、新書とはいえ380ページに及ぶ力作で読み応えがありました。

日本近現代史の専門家である著者は、本書において、戦前の一般国民が、対米戦争における飛行機の役割をどのように考えていたのか解き明かし、あわせて太平洋戦争敗北の理由の一つと言われている「大艦巨砲主義」について検証しています。
巻末には参考文献が掲載されていますが、著者は実に多くの資料・文献を丹念に読みこみ、詳しく分析しています。評論家といった人たちが、どこかで聞いたようなことをもっともらしく言葉にするのとは全く違い(比較するのも著者に失礼かもしれませんが)、さすがに専門家だと感じました。

本書により、大正期から戦争に至るまでに、軍の啓蒙活動、軍人などが書いた書物などを通して、一般国民の間に飛行機が戦争の主役だという認識が高まり、飛行機は戦争に勝利する希望の星になっていったこと、またその過程で、軍用機の献納運動など戦争に協力していく(協力させられていく)様子が明らかにされています。
一方軍部でも、飛行機の重要性はすでに十分過ぎるほどわかっており、戦艦が重要という根強い主張は一部にあったものの、「日本軍は大艦巨砲主義に固執していた」というのは事実でないことも明らかにされています。
本書を読んで、太平洋戦争は“飛行機の戦争”だったことがよくわかったのですが、戦争にまつわる様々な言説には、根拠のない不確かなものもあるということも認識されられました。

本書で印象的だったのは、第一次大戦後の軍縮の動きのなかで、税金を軍備にあてることについて、軍部は国民の目を相当意識していたこと。また、国民も軍部も日本とアメリカとの国力の差をよく知っていて、まともに戦っても勝ち目がないと考えていたことです。中国戦線の膠着、アメリカの経済制裁もあって、国民も軍部も鬱屈し追込まれてしまったのかもしれませんが、合理的な思考があっという間に吹っ飛んでしまうところに、戦争の恐ろしさがあると強く思いました。

読後感(よかった)

『ボストン美術館の至宝展』に行って来ました

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夏休みなのに天候が不順でぱっとしない日が続いていましたが、今日はやっと晴れたので、上野の東京都美術館で開催している『ボストン美術館の至宝展』に行って来ました。平日の午後なので会場は年配の方が多かったのですが、学校が夏休みということで小中高生も結構見かけました。

本展では、ボストン美術館が所蔵するコレクションから80点が「古代エジプト美術」「中国美術」「日本美術」「フランス絵画」「アメリカ絵画」「版画・写真」「現代美術」の7つのコーナーに分けて展示されています。美術はまったくの素人ですが、どのコレクションも素晴らしく、やはり本物は観る人をひきつけます。
個人的には、「日本美術」では英一蝶の『月次風俗図屏風』と『涅槃図』、酒井抱一の『花魁図』、喜多川歌麿の『三味線を弾く美人図』、「フランス絵画」ではモネの『睡蓮』、「アメリカ絵画」ではサージェントの『ロベール・ド・セヴリュー』、「現代美術」では村上隆の『If the Double Helix Wakes Up…』、そして本展の目玉であるゴッホの『郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン』と『子守唄、ゆりかごを揺らす オーギュスティーヌ・ルーラン夫人』が強く印象に残りました。

ちょっと驚いたのは、「現代美術」のコーナーで、かごに盛られた果物が時間とともに腐っていく様子を収録した動画がモニターに映し出されていたこと(時間は短縮されています)。静物画の延長線上にあるようなものかもしれませんが、この作品に限らず、これからは思ってもいないような“美術作品”が次々に生み出されるのでしょう。

秋になるとまた様々な美術展が開催されます。気になるものがあれば、また出かけようと思います。

『ほじくりストリートビュー』を読みました

ほじくりストリートビュー (散歩の達人POCKET)

今年64冊目の読了は、『ほじくりストリートビュー』(能町みね子/交通新聞社 初版2017年6月1日)です。こういうタイプの本は好きなので、新聞の書評で知って早速手にとりました。
本書は、月刊『散歩の達人』に連載中のコラム『能町みね子の東京リアルストリートビュー』を44編(2013年8月号~2017年3月号掲載分)収録したものです。著者の能町さんのことは本書で初めて知りましたが、調べたところ著書もたくさんあり、テレビやラジオにも出演されているなど、多彩に活躍されている方だとわかり、ちょっとびっくりしました。

このコラムは、能町さんが地図を見て気になったポイントに、あたかもグーグルマップの“黄色い人”となって訪ねていく探訪記です。行先は謎の住宅地、時代に取り残されたような街並み、不思議な道や誰も通らないような路地、特徴的な構造物などある意味変哲なところばかりで、ガイドブックに載っているような有名スポットではありません。人によっては何がそんなに面白いのかと思うでしょうが、私には興味がそそられる場所ばかりでした。

どの話も、能町さんが訪ねたところを独特の視点で“ほじくって”(味わって)いて、とても楽しい読み物です。(ちょっとマニアックなので、読む人すべてが楽しいとは限りませんが。)また、コラムごとに地図と現地の写真、能町さんのイラストもあって、見ているだけでもその場所に行った気分になるのですが、それがさらに「実際に現地に行ってみたい」という気持ちにさせます。

本書を読んで、普段何気なく見ている風景は実はとても新鮮なもの、貴重なものなのに、それに気付いていないかもしれないと思いました。少し足を伸ばせば本書で紹介されている場所に行くこともできますが、身近な街並みやいつもの通勤路でも、今までと違った目で見るだけでも新しい発見があるかもしれません。これからはちょっと意識して、自分なりのストリートビューをやってみたいと思います。

読後感(面白かった)

『砂の器 シネマ・コンサート』に行ってきました

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渋谷のオーチャードホールであった『砂の器 シネマ・コンサート』(8月13日)に行って来ました。

『砂の器』は日本映画のなかでも特に好きな作品で、ビデオ(VHS)も買い、その後DVDも買って何度も観ています。主演の加藤剛さんがオーケストラ(コンサートと同じ東京交響楽団)を指揮しながらピアノを演奏するシーンは、シネマ・コンサートにぴったりで、これは絶対に観なければと思いすぐにチケットを買い求めました。

当日、会場は私と同世代かちょっと上の世代の人たちでいっぱいで、若い人は数えるほど。1974年に劇場公開ですから当たり前のことかもしれませんが、この映画に思い入れがある世代はだんだん限られてきます。

公演では近藤嘉宏さんのピアノと東京交響楽団が映画の音楽パートを演奏しながら、映画の上映が行われました。生の演奏と映画のシーンが見事に調和し、期待以上の内容でしたが、とりわけ近藤嘉宏さんのピアノは聴き応えがありました。
楽しみにしていたコンサートのシーンでは、映画の中のピアノ、オーケストラと舞台のピアノ、オーケストラが絶妙にシンクロし、スクリーンを見入ってしまいました。指揮者の竹本泰蔵さんの力、近藤嘉宏さんと東京交響楽団のテクニックがあってこそだと思いますが、準備も相当大変だったに違いありません。

物語のクライマックスでは、テーマ曲「宿命」の演奏と四季の風景をバックに、お遍路姿の親子がつらい旅をするシーンが映し出されます。ただでさえ感動的な場面が、今回はピアノとオーケストラの生演奏で情感がさらに深まり、親子の情が強く胸に迫ってきて、観ていて涙が止まりませんでした。
帰りに、会場で販売していた映画のオリジナル音楽集(CD)を思わず買ってしまったのは、それだけ気持ちが高まっていたからかもしれません。

初めてのシネマ・コンサートでしたが、映画と音楽両方のすばらしさを堪能することができて十分満足しました。

あの頃映画サントラシリーズ 砂の器 映画オリジナル音楽集

『死ぬほど読書』を読みました

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

今年63冊目の読了は、『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎/幻冬舎新書 初版2017年7月30日)です。書店で目にして、手にとりました。

本書は、伊藤忠商事の前会長で中国大使も務めた丹羽氏が、読書についてその意義、本の選び方・読み方、読書の効用などについて書いたものです。

実用的な内容もありますが、丹羽氏が自分の体験を通して、人生や仕事において読書がいかに大切なものかを語っているのが本書の特徴です。伊藤忠商事時代の話も頻繁に出てきて、読書論でありながら、ビジネスマン向けの人生論・仕事論といった趣もあります。誰が読んでもいいのでしょうが、若い人たちには参考になるところが多いのではないかと思いました。

丹羽氏は読書の効用として、たとえば次のようなことを言っています。
『人間にとって一番大事なのは、「自分は何も知らない」と自覚することだが、読書は 「無知の知」を、身をもって教えてくれる』、『細切れの断片的な情報は「考える」作業を経ていないので、知識とはいえない。読書で得たものが知識になるのは、読書が「考える」ことを伴うからだ』、『教養の条件は「自分が知らないということを知っている」ことと「相手の立場に立ってものごとが考えられる」ことであり、教養を磨くのは仕事と読書と人である』、『どんなに苦しい状況でも、そこから逃げずにベストを尽くせば光が見えてくるが、読書と経験はその源泉となる』、『読書家の人は論理的な思考ができて、話す言葉が整理されている。コミュニケーションに信頼感があり、ふとした振る舞いに人間的な幅や余裕が感じられる』

このような効用を実感できるようになるには、量だけでなく、ある程度質も伴った読書が必要になるでしょう。軽めの本が多い私にはちょっとハードルが高そうですが、それでも丹羽氏の言葉は、読書に対するモチベーションを高め、本を読み続けようという気にさせてくれます。

丹羽氏は本書で、ネット社会の隆盛は本の市場に影響を与えたが、再び本が見直される時代がくると言っています。出版業界に身を置く者としては、他社の本とはいえ、本書に書かれている読書の効用を多くの人に知ってもらい、もっと本が読まれるようになってほしいと思いました。

読後感(参考になった)