えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

PARCO PRODUCE 2024『リア王』を観劇

昨日、東京芸術劇場で上演中のPARCO PRODUCE 2024『リア王』を観ました。

リア王を演じるのは段田安則さん、演出はショーン・ホームズさん。

同じ組み合わせで、2年前に観た『セールスマンの死』の段田さんの演技と、ラストシーンは、今でも忘れられません。

その『セールスマンの死』の演出も衝撃的でしたが、この舞台も斬新そのもの。

リア王はオーナー経営者を思わせるスーツ姿。三姉妹の娘たちが身を包むのはお揃いのピンク色のワンピース。舞台にはコピー機やプロジェクター、ウォーターサーバーまで置かれ、登場人物はオフィスチェアに座り、天井は蛍光灯の光が点滅する。

まるでオフィスを舞台にした現代劇のようですが、セリフは、あくまでシェイクスピアの古典の世界であり、“放送禁止用語”もおかまいなし。そのギャップも作品の印象を深めます。

段田さんは、自らの愚かさに気づくことなく独善的に振る舞い、娘たちの裏切りに怒り、狂気と悲嘆のうちに破滅していくリア王を熱演。

江口のりこさん(ゴネリル)、田畑智子さん(リーガン)、上白石萌歌(コーディリア)さんはそれぞれが三姉妹の気性をよく見せていて、印象的。

小池徹平さん(エドガー)の体を張った演技と、玉置玲央さん(エドマンド)の冷酷さを秘めたセリフ回しに引き付けられ、そして高橋克実さん(ケント伯爵)と浅野和之さん(グロスター伯爵)のベテランらしい引き締まった芝居も心に残るもの。

出演者によって欲にまみれた人間の醜さや脆さが突き付けられ、重苦しい絶望感が胸に迫ってきました。

愚かさと傲慢さが、周囲を混乱に陥れ、犠牲者と悲しみを生み出していく。考えてみると、その不条理の世界は物語に留まらず、私たちが住む現実の社会を見ているよう。

それが人間の本質の一面だとしたら、何ともやり切れません。

『悩んでも迷っても道はひとつ マリ共和国の女性たちと共に生きた自立活動三〇年の軌跡』を読みました。

読書ノート2024年の7冊目は『悩んでも迷っても道はひとつ マリ共和国の女性たちと共に生きた自立活動三〇年の軌跡』(著 村上一枝/小学館/初版2024年2月27日/装画 小池アミイゴ)。書店で目にして、手に取りました。

本書は、西アフリカ マリ共和国の農村地域で、30年以上に渡り住民の生活向上と自立のための支援活動を続け、ノーベル平和賞にもノミネートされた村上一枝氏が、その軌跡を自ら振り返ったもの。

48歳で小児専門の歯科開業医を辞め、マリに単身赴いた経緯に始まり、困難を乗り越えながら活動に取り組む様子を数々のエピソードとともに紹介し、活動に対する思いを綴っています。

村上氏は、「人生の後半にはこれまで得たことをフィードバックしていく時期がある」と思っていたそうです。

ただそうは言っても、決して若くはない年齢で、築いた地位を捨て、私財を投じ、遠くアフリカの地でボランティア活動を始めるなど、誰もができることではありません。

大きな決断には驚くだけでしたが、苦労を厭わず、並々ならない情熱を傾け奮闘する村上氏の姿と、村上氏を信頼し、共に取り組む住民の姿は、何より心に残りました。

村上氏の取り組みは、自然環境の保護、識字率向上のための学校建設、助産師の育成と産院開設、衛生知識の普及、女性の収入獲得のための技術指導など多岐に渡ります。

人知れぬ困難もあったはずですが、常に住民の自立を最優先に考え、住民に寄り添い、女性ならではの視点から活動してきたことが、見事な成果につながったのだと思います。

ところで本書では、村上氏の言葉に頷くことが何度もありました。

「過保護的な気遣いより相手に任せ、見守る姿勢が良い結果につながる」。「人の育成で大切なことは、本当のことを言い、本質を話し、丁寧に話を聞くこと」。「問題を解決するということは、新たな問題を発見すること」。「より良い結果を得るためには、順序を踏まなければ目的に到達できない。忍耐強く、繰り返し続けることが不可欠」…。

貴重な経験に裏打ちされた言葉には説得力があり、引き付けられます。

村上氏は今年84歳になられますが、支援活動は楽しく夢のあることで、これからも続けたいと語っています。

歳を重ね、何事も億劫になりがちな自分には、大きな刺激となりました。

『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』を読みました。

読書ノート2024年の6冊目は『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』(著 浜田哲二 浜田律子/新潮社/初版2024年2月15日)。書店で目にして、手に取りました。

本書は、24歳の若さながら大隊長として1千人近い部下を率い、沖縄で奮戦した伊東孝一と、戦死した伊東の部下の遺族が交わした「往復書簡」にまつわるノンフィクション。

著者は、沖縄戦の戦没者の遺骨や遺留品を収集し、遺族に返還する活動を20年以上続けている、元新聞社のカメラマンと元新聞記者の夫妻で、活動の中で伊東に出会い、伊東から、伊藤宛に送られてきた手紙356通を預かります。

その手紙は、終戦直後に、伊東が戦死した部下の遺族に送った「詫び状」に対する遺族からの返信。夫妻は伊藤の思いを汲み、手紙を遺族に返す活動を始めます。

本書では、伊東大隊の沖縄戦を追う中で、亡くなった兵士の人柄と最期の様子を描写し、遺族から伊東に届いた手紙を紹介するとともに、手紙の返還に奔走する夫妻とそれを助けるボランティアの学生たちの姿、そして70年以上の時を経て、手紙の返還に立ち会った送り主の遺族の姿が描かれています。

伊東は、沖縄から持ち帰った土砂とともに、600もの遺族に「詫び状」を送ったのですが、伊東は戦後、生き残ってしまったことへの後悔と贖罪の意識、戦死した部下たちへの想いに苛まれていたそうです。

伊東の詫び状は簡潔で、そこまでの深い思いは読み取れませんが、「流涕万斛(りゅうていばんこく)ではございますが、筆は文を尽くさず、文は心を尽くさず」と締めくくられています。

普段見慣れない言葉だけに、その一文は強く心に残り、手紙からあふれる伊東の心情に触れた感じがしました。

一方、遺族の返信で印象的だったのは、多くの遺族が、伊東の手紙に感謝し、伊東の世話になったことに礼を言い、そして夫や息子が戦争で散ったのは国のためだったと言い聞かせていること。

なかには悲嘆を率直に吐露するものや、生活の苦しさを訴える手紙もありますが、伊東を責めるでもなく、伊藤が生きて帰ったことを恨むでもありません。

けれど、覚悟はしつつ、生還に一縷の望みを持っていた家族は多く、大切な人を失った悲しみや無念を思うと、伊東ならずとも心が痛みます。

それにしても、本書で紹介されている沖縄戦の様子は悲惨なものです。

圧倒的な戦力で襲ってくる米軍を相手に、命がけで戦った兵士たち。死が迫っても逃げることは許されず、想像するだけで胸が締め付けられます。

伊東は、「戦争は二度と起こしてはならない」と断言しつつ、自衛のための戦いは必要だとも述べていたそうです。

今の世界では、その言葉を否定するのは難しいと思いながらも、「戦争など起きないでほしい」と願わずにいられません。