えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『生と死のことば 中国の名言を読む』を読みました

生と死のことば――中国の名言を読む (岩波新書)

2017年92冊目の読了は、『生と死のことば 中国の名言を読む』(川合康三/岩波新書 初版2017年10月20日)です。書店で目にして手に取りました。

本書は中国文学者である著者が、中国古典の中から「生」と「死」をめぐる60を超える名言を選び、先哲や文人たちの思いを解説したものです。「生」と「死」といっても哲学的なものではなく、著者の味わい深い話によってひとつひとつの言葉が心に染みてきて、人生を考えさせます。

本書で特に印象に残ったのは、世間一般の「生」「老」「死」に対する考え方を逆転し、生は苦労、老は安楽、死を休息とする『荘子』『列子』の考え方や、陶淵明が到達した「委運」(ものごとのなりゆき、それにそのまま身を委ねる)という考え方。自分にとってもこれからの生き方の示唆となります。また、出世の階段を上り詰め、権勢と栄華を極めた人物が刑場での死を前にして欲したのは、自分が一介の庶民であったときに楽しんだ“兔狩り”だったという『史記』李斯伝の話は心に残りました。

生への執着と死に対する怖れは誰もが思うことです。本書でも生のはかなさを詠った言葉が収められていますが、命ある限り死は必定であり、あまり思い悩んでも仕方ないかもしれません。
本書の最後では、老いの生き方として、孔子の「老いの将(まさ)に至らんとするを知らず」という言葉を紹介しています。「老い、それに続く死を忘れるほど今の生に没頭して生きる」という意味だそうです。没頭して生きることの意味は人それぞれでしょうが、やがてやってくる老いの日々では、何か特別なことに没頭するよりは、まずは平凡な日々を大切にしたいと思います。

読後感(よかった)

「江戸東京たてもの園」のライトアップを見てきました

小金井公園の中にある「江戸東京たてもの園」に行き、『夜間特別開園 紅葉とたてもののライトアップ』を楽しんできました。

園内は家族連れ、カップル、カメラマンで結構な賑わい。やわらかな灯りで、建物と庭園の木々がきれいに浮かび上がり見事でした。

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小出邸
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吉野屋
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三井邸・前川邸
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高橋是清邸
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東の広場
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大和屋本店・植村邸・丸二商店
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小寺醤油店・子宝湯
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下町中通り





 

 

 

 





 

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』を読みました

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

2017年91冊目の読了は、『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(鴻上尚史/講談社現代新書 初版2017年11月20日)です。新聞広告で本書が目にとまり、専門家でも歴史作家でもない鴻上さんが、なぜこのような本を出したのか興味を覚えて早速買い求めました。

鴻上さんは本書で、陸軍の特攻兵として9回出撃して9回生還した佐々木友次氏のエピソードと、佐々木氏本人への鴻上さんのインタビューを紹介し、佐々木氏や特攻に対する自らの思いを綴っています。鴻上さんが本書を書いた経緯・理由は本の中で明らかにされていますが、鴻上さんは佐々木氏のエピソードから小説『青空に飛ぶ』(講談社)も執筆されていて、その思いは強く深いものがあります。

 「特攻」という言葉を聞いたとき、日本人なら誰しも死んでいった若者たちのことを想い、戦争の悲惨さを想います。しかし大半の人は、考えるのはそこまでで、特攻を「命令した側」のことや特攻の実情についてまで関心を持つ人は限られるでしょう。
本書では、特攻命令を断固として拒む佐々木氏の驚くべき姿とともに、特攻を「命令された側」の佐々木氏をはじめとする特攻隊員たちの偽りない心情、「命令した側」の過剰な精神主義と非合理的な言動、身勝手で責任を回避する姿、そして無謀な出撃の様子が描かれていて、ともすると情緒的に捉えてしまいがちな特攻の“現実”を目の当たりにします。

死んだはずの佐々木氏が帰還したことで自分たちの面子が保てず、とにかく佐々木氏を死なせようとする上官たち、とても志願とはいえないそして身内には甘い特攻隊員の選抜方法、さらには不利な戦局に為すすべもなく思考停止に陥り、精神だけを語る参謀たち。とにかく愕然とすることが多く、これでは特攻は「上官のためだった」と言われても仕方ないくらいですが、「国のために」と信じていった特攻隊員のことを思うと「命令した側の責任」を考えずにはいられません。

また本書では、特攻のことをセンセーショナルに扱う新聞と、その記事に熱狂・感動する国民のことも書かれています。鴻上さんは、特攻が続いた理由のひとつは、国民に戦争継続の決意を持ち続けさせることだったと言っていますが、戦争という非日常的な場面では、普通の人でも物事をまともに考えることが難しくなることや、いつのまにか戦争の片棒を担いでいるかもしれない恐ろしさも、改めて認識させられました。

戦争が終わって70年以上が経ち、実際に戦場に立った人もどんどん少なくなっています。いずれ戦争での出来事も「記憶」ではなく、「記録」でしか確認できないときが来るでしょう。そう考えると、本書に限らず、戦争で起こったことを正しくありのまま残していくことは大事なことに違いありません。そしてそれを次の世代にもしっかり伝えていくことは、戦争で命を落とした人、また悲惨な体験をした人に対する私たちの責任なのだろうと思います。

鴻上さんが言うように、本書が多くの人に読まれ、佐々木氏のことや佐々木氏が闘ったものが広く知られることを願っています。

読後感(とてもよかった)