えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』を読みました

戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ

2018年58冊目の読了は、『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』(暮しの手帖社 初版2018年7月24日)書店で目にして手に取り、2週間くらいかけて少しずつ読みました。

一昨年、『暮しの手帖』第1世紀96号(1968年8月)を書籍化した『戦争中の暮しの記録』を読んだのですが、戦争に辛酸をなめさせられた庶民の姿は強く心に残り、平和な時代を生きてこられた幸せを身に染みて感じました。

戦争中の暮しの記録―保存版

本書は、この『戦争中の暮しの記録』と同様、戦争体験の手記を一般から募り、2390通の応募作品から157点を収録したものです。戦争を直接体験した人だけでなく、その子供や孫が聞き書きしたものも多く含まれています。

大切な人との別れ、空襲の恐怖、さみしい学童疎開、命からがらの外地からの引き揚げ、戦争が終わってもなお続く混乱。本書でも、つらく、悲しく、苦しい生活にひたすら耐え、わずかな希望や家族の温かさを頼りに、懸命に生きていく庶民の姿が目の前に現れてきて、読んでいて胸に迫るものがありました。

特に、今回は当時まだ子供であった人の投稿が多いせいか、今では到底考えられない食糧事情の悪さや飢えについてふれている手記が目についたほか、本書に掲載された写真に写し出されている日常の風景が、逆に戦争のむごさを訴えてきました。

『暮しの手帖』を創刊した花森安治は、『戦争中の暮しの記録』に、「戦争の経過や、それを指導した人たちや、大きな戦闘については、ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。しかし、その戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、どんなふうに暮らしてきたか、どんなふうに生きのびてきたか、それについての、具体的なことは、どの時代の、どこの戦争でもほとんど、残されていない。その数すくない記録がここにある。」という言葉を寄せています。

確かに、歴史の授業で習うのは、大きな視点で捉えられる出来事がほとんどで、戦時中の庶民の生活を詳しく知ることはそれほど多くありません。しかし、本書や『戦争中の暮しの記録』は、庶民の生活の中にこそ“戦争の真実”があること、そして平和がいかに脆いものであるかを教えてくれます。

来年には平成が終わり、昭和はますます遠くなって、戦争体験者も少なくなるばかり。いよいよ私たち戦争を知らない世代が、悲惨な戦争の実態を忘れ去ることなく、多くの手記に残された「戦争は二度と起こしてはならない」という言葉を語り継いでいくことが求められます。それは、戦争で犠牲になった方々に対する私たちの責任ともいえるでしょう。

本書のあとがきでは暮しの手帖編集部のメッセージが掲載されています。そのページの紙の色は、赤紙(召集令状)と同じ色。たった一枚の紙で自分や家族の人生が一変する戦争の残酷さを表しているようであり、二度そんな時代にしてはならないという決意のようにも感じました。

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読後感(考えさせられた)

『日航機123便墜落 最後の証言』を読みました

新書885日航機123便墜落 最後の証言 (平凡社新書)

2018年57冊目の読了は、『日航機123便墜落 最後の証言』(著 堀越豊裕/平凡社新書 初版2018年7月13日)。書店で目にして、手に取りました。

日航機墜落事故から今年で33年。時間は随分経ってしまいましたが、乗員・乗客520名もの方が亡くなられた未曾有の事故のことを忘れることはできません。

個人的なことですが、事故から2カ月後に日航機に乗ったとき、着陸するたびに機内に何ともいえない安堵感が漂い、ある便では外国人が座席で拍手したことを今でもよく覚えています。

本書は、共同通信社の記者として米国に駐在中であった著者が、事故後30年の節目を迎えたことをきっかけに取りかかった事故の取材・調査を通して、事故原因の真相に迫っていくドキュメントです。著者にとって初めての著作ということですが、内容は明晰で、読み応えがありました。

日米両国の公式見解によれば、この事故の原因は、ボーイング社の修理ミスで圧力隔壁が破壊し、それにより垂直尾翼・油圧パイプの破壊が起きたことによるものだとしています(「圧力隔壁主因説」)。

しかし日本では、別の原因で垂直尾翼が破壊されたとする説や、事故原因を修理ミスに矮小化したという米国の謀略説、米軍または自衛隊による撃墜・誤射説も根強く主張されていて、公式見解に疑念を持つ人は少なくありません。

著者はそんな議論に終止符を打つべく、推測・伝聞に振り回されず、自分の足を使って日米の関係者に対し地道に取材を重ねていきます。

米国運輸安全委員会の事故調査担当者、ボーイング社の担当者や元社長、米司法省の元検事、“ハドソン川の奇跡”を起こしたパイロットなど、地の利を生かした米国側の取材は目を見張るものがあり、事故原因が新聞にリークされた経緯、日本側と米国調査チームのぎくしゃくとした関係、仲間の修理ミスが明らかになったときのボーイング担当者の嗚咽など、初めて知った“証言”の数々は興味深いものがありました。

中でも、“正直なミス”(悪意のないミス)の責任は問わないという米国に対し、日本では悪意がなくても“業務上過失致死傷”という罪があり結果責任を問われる(米国でも民事の責任は別です)という対比は強く印象に残りました。

罪に問われなければ、何でも包み隠さず明らかにしても構わないことになり、それにより事故原因の究明も進みそうです。しかし、罪になる可能性があるのなら関係者の口は重くなって、すべてが明らかにされるとは限らず、結果として原因究明に支障をきたすことも考えられます。事実、ボーイング社の修理チームは日本の警察の事情聴取に応じていません。

ただし著者も指摘しているように、いくら原因究明ができたとしても、日本人の感情としては、何百人もの犠牲者が出た事故で誰も刑事責任を問われないというのは、受け入れ難いことかもしれません。かといって、ミスをした人間を追い詰める社会も考えものであり、難しい問題だと感じました。

一方、日本側の取材で印象的だったのは、撃墜・誤射説の書籍を出版し話題になった日航の元客室乗務員青山透子氏にもしっかり取材していること。

著者は、取材を通して公式見解の「圧力隔壁主因説」が妥当であるという認識を持つに至り、撃墜・誤射説には疑問を感じているので、青山氏との意見の相違は明らかです。

しかし著者は、自分の意見を声高に主張することもなく、青山氏の主張を頭から否定することもしません。いったん受け止めて、撃墜・誤射説が生まれる原因・背景を冷静に検証し、事故の奥深さを浮き彫りにしているのには感心しました。

著者の取材をもとに示される事実には説得力があり、本書を読む限り、「圧力隔壁主因説」以外の事故原因は考えにくいものがあります。

本書により原因論争にピリオドが打たれれば、センセーショナルな言葉に目が奪われることもなく、事故のことをもっと平静に語り継ぐことができそうです。

事故から30年以上が経った今では、犠牲者やその家族の方々、また事故関係者にとってはそれこそが望ましいことかもしれません。

この事故以来、日本の航空会社では大型旅客機の墜落事故は起きていないそうです。犠牲者の方々の死を無駄にしないためにも、それに慣れることなく、安全への備えを怠らないでほしいと願うばかりです。

読後感(よかった)

『昭和の怪物 七つの謎』を読みました

昭和の怪物 七つの謎 (講談社現代新書)

2018年56冊目の読了は、『昭和の怪物 七つの謎』(著 保阪正康/講談社現代新書 初版2018年7月20日)。ベストセラーになっているということで、手に取ってみました。

著者の保阪氏は、昭和史研究で著名なノンフィクション作家。著書も多数ありますが、本書では、東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂の6名を取り上げ、保阪氏が本人、親族、関係者から直接聞き取った証言を交えながら、それぞれの人物についてあまり語られることのないエピソードを紹介。戦前から戦後間もない時期の日本の深層を浮かび上がらせています。

-東條英機は、首相指名は自分でも晴天の霹靂であり、戦争を避けられなかったことについて昭和天皇に対し負い目があった、また東條英機暗殺計画が実行寸前であった。

-テロの犠牲者であるはずの犬養毅の家族が、人々から後ろ指をさされ、嫌がらせを受けていた。

-シスターであり教育者である渡辺和子さんであっても、陸軍教育総監であった父親の渡辺錠太郎が銃撃された「二・二六事件」は決して“赦し”の対象とはならず、事件の黒幕に腹を立てていた。

-ポツダム宣言にある「戦争責任裁判」を日本側で独自に行う構想があった。

話はこれに留まらず、次々に出てくる“秘話”に興味は尽きませんでした。

また、謎の多い瀬島龍三氏の言動をとらえて語られる、軍官僚と軍部の体質についての話も印象的です。

「都合の悪いことは決して口にしない」、「自らの意見は常に他人の意見をかたり、本音は言わない」、「ある事実を語ることで『全体的』と理解させる」、「相手の知識量、情報量に会わせて自説を語る」、「一次資料の改竄も厭わない」。

保阪氏の指摘は鋭いですが、先頃の「加計・森友」問題を見れば、「嘘」「ごまかし」「改竄」は当時の軍部だけでなく、今の官僚たちに通じるものがあるという指摘も、否定しがたいものがあります。

それにしても、誰もがその器ではないと思っていた東條が、木戸内大臣の思惑で首相となり、精神論を頼りに大国相手に戦争を指導したことは、日本にとってとんでもない“悲劇”だったとしかいいようがありません。

誰が首相になっても、戦争を避けることはできなかったかもしれませんが、もしも違う人物がリーダーであったら、戦争はもっと早く終結し、救えた命もたくさんあったかもしれないとついつい思ってしまいます。

本書を読んで、歴史の表には出てこない知られざる事実が、ときに歴史を動かすことを教えてもらい、歴史の奥深さを改めて実感しました。

読後感(面白かった)