えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『アフター1964 東京オリンピック』を読みました

アフター1964東京オリンピック

2019年15冊目の読書レポートは、『アフター1964 東京オリンピック』(著 カルロス矢吹/サイゾー 初版2019年1月23日)。書店で目にして手に取りました。表紙カバーのユニフォームの色が鮮やかで目を引きます。

前回の東京オリンピック(64年大会)は、敗戦からの復興をアピールする場でもあり、まさに悲願のオリンピック。

選手たちも開催国にふさわしい活躍をみせ、柔道、レスリング、体操といった“お家芸”でのメダルが多かったとはいえ、金メダル16個(アメリカ、ソ連に次いで3位)、銀メダル5個、銅メダル8個を獲得しました。

本書は、その64年大会に出場したオリンピアン(オリンピック出場選手)10名と、記録映画のスタッフであった映画監督の山本晋也氏、そしてパラリンピックに出場した近藤秀夫氏に著者がインタビューしてまとめたルポルタージュ。(初出は月刊『サイゾー』の連載記事)

オリンピック出場に至る道程やオリンピックに係ることになった経緯、オリンピック後の人生、またオリンピアンたちの64年大会に対する思いなどが、珍しい写真とともに紹介されています。

ただし、本書に登場するオリンピアンでメダリストは2名だけ。出場した種目も、陸上10種競技、カヌー、自転車、馬術、サッカー、フェンシング、飛び込みといったマイナースポーツ(サッカーは当時マイナースポーツ)が大半で、活躍が大きく取り上げられることも、その後語られることもほとんどなかった人たちです。

本書に出てくる当時の新聞記事などからも、それほど期待されていなかった種目だったことが窺い知れるのですが、そうはいっても、オリンピックに出るのは簡単なことではありません。

今と違って、小さい頃から英才教育を施されたわけでもなく、スポーツクラブで鍛えたわけでもなく、ましてや「ナショナルトレーニングセンター」などありません。高校、大学で部活を一生懸命やってきたような人が努力を積み重ね、予期せぬ障害を乗り越えてオリンピック出場を果たし、晴れの舞台で奮闘する姿は印象に残るものでした。

そして選手たちのオリンピック後の人生も様々。たとえ華やかな成績を残せなかったとしても、オリンピックは人生に大きな影響を与えています。64年大会は失敗だったと語る人もいますが、オリンピックに出場した経験はかけがえのないものに違いありません。

一方で、近藤秀夫氏の話は、障害者に対する日本人の意識について考えさせるもの。障害者スポーツへの関心・理解は確実に高まっていますが、社会全体の意識や障害者を取り巻く環境は、64年大会当時と比べどれほど変わったのか。鋭く問いかけられた気がしました。

2020東京大会の開催まで500日を切りました。メダル有望種目や有望選手にはすでに大きな期待がかけられ、メディアでも話題になっています。しかし、日本人にあまり馴染みのない競技や、世界の壁が厚い競技に出場する選手もたくさんいるはずです。

せっかく東京で開催されるので、そんな選手たちに、もちろんパラアスリートにも間近で声援を送りたいと思っています。

『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』を読みました

なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議 (文春新書)

2019年14冊目の読書レポートは、『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』(編・解説 半藤一利/文春新書 初版2019年2月20日)。書店で目にして手に取りました。

終戦の年(1945年)から70年以上が経ち、実際に戦場に立った人はもちろん、戦争を経験した人も少なくなりました。平成の時代、幸いにも日本は戦争に巻き込まれることはなく、日本人にとって、戦争はどんどん遠い存在になっているかもしれません。

本書は、偕行社の定期刊行誌『偕行』(昭和51年12月号から昭和53年3月号)に掲載された「大東亜戦争の開戦の経緯」と題する座談会を再編集し、随所に半藤さんの解説を加えてまとめたもの。戦前、陸軍将校の社交・研究の場であった偕行社は、現在は旧日本陸軍将校と陸上・航空自衛隊OBの親睦組織となっているそうです。

座談会では、開戦時、陸軍省と陸軍参謀本部の中堅参謀だった人たちが、日独伊三国同盟の成立から、北部仏印・南部仏印進駐、東条内閣の成立、そして誰もが思ってもいなかった対米開戦に至る過程で実際に見聞きしたことを語り、自らの思いを胸襟を開いて披露しています。

ドイツへの心酔、ひとりよがりの希望的観測、現実を無視した精神論、陸軍と海軍の戦略不一致と不仲、中堅幹部の独走、空気が左右する曖昧な意思決定、当事者意識の欠如。さまざまな要素が絡み合い、作用しながら、勝ち目のない戦争に至る経緯は、今更ながらで、空しささえ覚えますが、出席者の証言は生々しく、重みがありました。

話のなかで興味深かったのは、やはり陸軍とは認識や戦略観が異なる海軍の動き。「海軍が引くに引けなくなって導火線に火をつけた」と言ってもいいような事実が浮かびあがり、半藤さんが指摘するように、よくいわれる「海軍善玉、陸軍悪玉」といった単純なものでないことがわかります。

陸軍の人たちだけの座談会ですから、海軍に批判的になるのは仕方ないとしても、自分たちだけが悪者になるのは間尺に会わないと感じるのはもっともなこと。「海軍が余計なことをした。山本五十六の真珠湾攻撃などとんでもない。」という思いが座談会を終始貫いているのも印象的でした。

もっとも、アメリカと戦争することになった遠因は陸軍が始めた日中戦争にあるともいえ、善玉とか悪玉とか言う議論は意味のないもの。どちらにしても、戦うことが仕事の軍人が「戦えない」「戦ってはいけない」と自らの存在価値を否定するようなことは、なかなか口には出せないでしょう。

だからこそ、危険が大きくなる前にその芽を摘み、軍人が表に出てくるような深刻な事態に陥らないようにすることが何より大事。そうしないと、戦争がいつのまにか忍び寄り、かけがえのない平穏な日常をあっという間に奪ってしまう。本書を読んで、そんなことも思い浮かびました。

『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』を読みました

〈いのち〉とがん: 患者となって考えたこと (岩波新書 新赤版 1759)

2019年13冊目の読書レポートは、『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』(著 坂井律子/岩波新書 初版2019年2月20日)。本書を取り上げた新聞記事が目にとまり買い求めました。

著者の坂井さんは、NHKで教育、福祉、医療をテーマとした番組制作に携わり、その後山口放送局長を経て、2016年4月、編成局総合テレビ編集長に着任。

ところがその一カ月後にすい臓がんが見つかり、2年半に渡る闘病の甲斐なく、昨年11月に亡くなられたそうです。

本書は、坂井さんが自分の命をみつめながら、職場復帰を最期まで諦めることなく、がんと向き合い、がんと闘った日々を書き残したもの。手術や化学療法(抗がん剤治療)の様子、その中で交錯する期待、不安、憤りといった感情、そして“いのち”への思いが、ありのまま綴られています。

単身赴任生活を終えて家族の待つ東京に戻り、「さあこれから」というときに、突然のガン宣告。「頭が真っ白にはならなかった」と坂井さんは言うものの、心中は察するに余りあります。

ところが坂井さんは、再発が判明したときはさすがに「心が折れた」と吐露していますが、本書を読む限り、がんになったことを嘆くこともなく、取り乱したりすることもありません。

10時間にも及ぶ手術、倦怠感・味覚障害・脱毛といった副作用の凄まじさ、腫瘍マーカーの数値に一喜一憂する姿、希望を打ち砕くPET検査の結果。読み続けるのが辛くなるほどですが、坂井さんは闘病生活を冷静に、客観的に記し、そしていのちについて深く考えを巡らせています。

それは、「患者の立場になって気づいたこと」そして「患者が本当に知りたいこと」を“言葉”で伝えなければならないという強い思いからでしょうが、坂井さんが自分を題材にして、一編のドキュメンタリー番組を制作しているようにも感じました。

坂井さんは、再再発がわかり、余命三カ月の宣告を受けてもなお治療を継続し、生きている時間を少しでも延ばそうとします。また、がんになったことを人事異動に例え、新しい出会いとこれまで出会った人たちの助力を心に刻む一方、よく言われる「死の受容」に疑問を示し、「死を受け入れてから死ぬのではなく、ただ死ぬまで生きればいい」と語っています。

もちろん、この異動(がん)は坂井さんが望んだものではありません。それでも坂井さんは前向きで、自分の心情(生き方)に率直です。自分が同じ状況になったとき、果たしてどのような心境になるのか想像もつきませんが、いのちの重さや生きることの意味を考えずにはいられませんでした。

日本人の2人に1人が、がんにかかる時代。とはいえ、多くの人にとっては不安が付きまとう未知の世界です。坂井さんが残した本書は、そんな世界を進むための一つの“道標”となるものだと思います。

坂井さんのご冥福を心からお祈りします。