えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『レコード越しの戦後史』を読みました

レコード越しの戦後史 歌謡曲でたどる戦後日本の精神史(ele-king books)

2019年17冊目の読書レポートは、『レコード越しの戦後史』(著 とみさわ明仁/Pヴァイン 初版2019年2月27日)。SNSで本書のことを知り、買い求めました。

現在、レコードはマニアが楽しむものになってしまいましたが、昭和の時代、音楽を聴くといえばレコード。ターンテーブルでレコードが回っている光景が懐かしく思い出されます。

本書は、著者が自ら蒐集してきた歌謡曲のレコードとともに、戦後の日本の歩み(終戦から昭和が終わるまで)を振り返るというユニークな戦後史。

単に時代を遡るのではなく、戦後復興、ヒーロー、戦争の傷、高度成長、家族、事件、流行、来日者、科学技術といったテーマに分けて、戦後に起きた60余りの出来事を取り上げ、それに関連するレコード約130曲を、ドーナツ盤のジャケット写真とともに紹介。それぞれの出来事とレコードに関するエピソードや著者の思いなどが綴られています。

昭和の記憶が次第に薄れていくなかで、本書に登場する事件や社会現象はとても懐かしく(私の場合は昭和30年代の終わり頃からですが)、一方、レコードの話はかなりディープ。

三波春夫の歌で有名な『東京五輪音頭』は6社の競作で、作曲した古賀政男は三橋美智也を歌い手として想定していた、日本に初めてパンダがやってきたときに作られたパンダのレコードは100種類以上。東海道新幹線に始まり、新幹線が開通するたびにレコードが出された。大阪万博の『世界の国からこんにちは』は8社の競作だったが、これも三波春夫の圧勝。昭和天皇崩御による自粛ムードの影響で、曲芸の海老一染之助・染太郎の『おめでとうございます』の発売が延期・・・。もちろん初めて知ったことばかりで、面白く読みました。

また、『お帰りなさい横井さん』(グアム島の残留日本兵横井庄一さんを歌ったもの)、『小野田元少尉還る!』(ルバング島の残留日本兵小野田寛郎氏の帰国第一声を収録したもの)、『ああ聖徳太子』(一万円札の肖像が聖徳太子から福沢諭吉に変わるときに出された)といったレコードにはびっくり。一体誰が買ったのか知りたくなります。

出来事や流行が歌になる、時代の人気者がレコードを吹き込む、時代の空気をつかんだ曲がヒットする。本書を読んでレコードが時代を映すものであったことがよくわかり、「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉を実感しました。

ところで、本書では所々で著者の印象的なコメントが姿を見せます。「日本の高度成長とは、利益の追求を何よりも優先させ、このような犠牲(公害の被害のこと)を見過ごしてきたからこそ、成し遂げられた」、「集団就職の若者たちが流した汗は、間違いなく日本の高度成長を推し進める原動力となったが、その陰で数多くの涙も落させていた」、「戦後を経て、ふたたび豊かさを取り戻した日本は、その豊かさの使い道をどんどんと迷走させていく」。鋭い指摘が心を捉えます。

本書で紹介されているレコードをプレーヤーで聴くことはもう叶わないでしょう。気になった曲は、YouTubeで検索するしかないかもしれません。

キャサリン・ジェンキンス コンサート

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昨夜、美貌の歌姫とも呼ばれるキャサリン・ジェンキンスさんのコンサートがオーチャードホールであり、足を運びました。

ジェンキンスさんは、国際的なメゾソプラノ歌手で、クラシカル・クロスオーバーというジャンルで活躍中。そのためか、会場は幅広い層の聴衆でほぼ満員で、人気の高さがうかがえました。

昨夜のプログラムは、ジェンキンスさんの歌と、合間に東京フィルハーモニー交響楽団の演奏という構成。

ジェンキンスさんの曲目はベートーヴェンの『喜びの歌』(ベートーヴェン:交響曲第9番より)、『ハバネラ』(歌劇「カルメン」より)、『アモーレ・セイ・トゥ~オールウェイズ・ラヴ・ユー』、『アメイジング・グレイス』、『虹の彼方に』(映画「オズの魔法使」より)、『ワールド・イン・ユニオン』(ホルスト:組曲「惑星」より木星)、『家路へ』、『天使への嫉妬』、『ネヴァー・イナフ』(映画「グレイテスト・ショーマン」より)、ミュージック・オブ・ザ・ナイト(ミュージカル「オペラ座の怪人」より)、『タイム・トウ・セイ・グッバイ』、『踊り明かそう』(ミュージカル「マイ・フェア・レディ」より)。

そしてアンコールは、『グラナダ』とクイーンの『伝説のチャンピオン』(We Are the Champions)の2曲。

私自身は、ジェンキンスさんの演奏を聴いたのは今回が初めてでしたが、華やか雰囲気も相まって、情感豊かで伸びやかな歌声にすっかり魅了されてしまいました。とりわけ最後に歌った『伝説のチャンピオン』は最高。心にグッときました。

ただひとつ残念だったのはキャサリンさんの話を十分理解できなかったこと。英語力がもう少しあれば、もっと楽しいコンサートだったに違いありません。

『世界のすごいお葬式』を読みました

世界のすごいお葬式

2019年16冊目の読書レポートは、『世界のすごいお葬式』(著 ケイトリン・ドーティ 訳 池田真紀子/新潮社 初版2019年2月25日)。SNSのつぶやきで本書のことを知り、手に取りました。

著者はロサンゼルス在住の女性。大学で中世史を学んだ後、サンフランシスコの葬儀社に就職。その後、アメリカの一般的な葬儀ビジネスとは一線を画し、土葬、火葬、直葬、自然葬など故人や遺族の希望に沿う葬儀をプランニングする葬儀会社を自ら設立したそうです。

本書は、死にすっかり臆病になってしまった“アメリカ文化”に嘆息し、他の地域(文化)で死がどのように扱われているのか関心を持った著者が、日本を含む世界8カ所を駆け巡り、独特な葬儀の様子や死に対する向き合い方を紹介するルポルタージュ。

登場するのは、アメリカ・コロラド州で行なわれている住民参加の「野外火葬」。数カ月から数年に渡り遺体を自宅に安置してミイラ化し、埋葬後数年に一度墓から取り出して手入れするインドネシア・トラジャ族の風習。ガイコツの扮装をした人達が陽気に踊りながら練り歩くメキシコの「死者の日」。アメリカ・ノースカロライナ州で行なわれている「死体で肥料を作る研究」(本当の意味で土に還す研究です)。スペイン・バルセロナのガラスを多用する葬儀。日本ではテクノロジーを駆使した納骨堂、火葬場と骨上げ、それにラステル(ラスト・ホテルの略)と呼ばれる死者専用ホテル。ボリビアの頭蓋骨を自宅に祀り、魔除け祈願する人々。そして、アメリカ・カリフォルニア州で著者自ら行った自然葬。

また、実際に著者は訪れてはいませんが、チベットの鳥葬の様子も紹介されています。

日本のエピソードを除けば、とにかく驚くようなものばかり。弔い方や死者に対する考え方は様々であることがわかります。けれど著者は決して好奇の目では見ていません。自分たちの慣習と異なっている葬送形態を“野蛮”“劣っている”とする考え方をきっぱりと否定し(もちろん日本の骨上げも)、それぞれにある死者への寄り添い方に理解を示しています。

著者は、高額、商業的、画一的なアメリカの葬儀ビジネスを批判し、また死に寄り添うどころか、死を遠ざけるようとする人々の意識にやりきれなさを感じているようですが、事情は日本も似たようなもの。

私も昨年父を亡くした際は、葬儀社との打ち合わせに追われ、とにかく葬儀を滞りなく済ませることで頭がいっぱいとなり、死を悼むどころではありませんでした。多くの人から「いい葬儀だった」と声をかけてもらったのですが、今もって何か釈然としないものが心に残っています。

異国の地の“すごいお葬式”の話を興味深く読みましたが、死者を悼み、弔う意味を深く考えさせるものでした。