えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

小金井公園 2020年の桜

f:id:emuto:20200322142751j:plain

小金井公園は都内でも有数の桜の名所。昨日公園をジョギングしていて、いつになく咲き進んでいる桜をあちこちで目にしました。

せっかくなので、今日は人がまだ少ない午前中に散歩がてら出向き、きれいな桜を何枚か撮影。

新型コロナの影響で、今年は恒例の「桜まつり」も中止となり、いつもと違う春になってしまいましたが、桜の見事な姿は変わりません。

公園の桜まだまだこれから。里桜が咲く頃が今から楽しみです。

 

(一番気にいっている「衣通姫」)

f:id:emuto:20200322142821j:plain

f:id:emuto:20200322143158j:plain

(「紅枝垂」はまだ五分咲きくらい)

f:id:emuto:20200322143325j:plain

f:id:emuto:20200322143423j:plain

(「越の彼岸桜」 青空に映えます)

f:id:emuto:20200322143556j:plain

(「陽光」 鮮やかな色に目が奪われます)

f:id:emuto:20200322143741j:plain

f:id:emuto:20200322144243j:plain

(江戸東京建物園前の「染井吉野」 随分咲いています)

f:id:emuto:20200322144340j:plain

f:id:emuto:20200322144450j:plain

(江戸東京たてもの園は新型コロナで休園中)

f:id:emuto:20200322144816j:plain

『エンド・オブ・ライフ』を読みました。

エンド・オブ・ライフ

2020年8冊目の読書レポートは『エンド・オブ・ライフ』(著 佐々涼子/集英社インターナショナル/初版2020年2月10日)。書店で目にして、手に取りました。

著者はノンフィクションライター。2013年から6年に渡り、京都で訪問医療を行っている診療所で在宅医療の現場を取材してきました。

本書は、在宅で最期を迎える患者とその家族、在宅医療を支える医師と看護師、そして著者の母を介護する父親の姿を通して、在宅医療と終末期のあり方を考えるノンフィクション。

この診療所で働き、すい臓がんを告知された男性看護師の病に向き合う日々を追いながら、いくつかの家族の生と死をめぐる物語が穏やかに綴られています。

命の瀬戸際にいるにもかかわらず、かけがえのない思い出をつくるため、潮干狩りに行く家族とディズニーランドに行く家族。

その思いを何とか叶えようと、懸命にサポートするスタッフたち。

余命数週間のがん患者のために、自宅で開催されたハープの演奏会と、家族が手にした幸せ。

ページを繰るたび、切なさと温かさが混ざり合いながら胸に広がってきました。

そして著者の父親が、難病を患い寝たきりになってしまった妻(著者の母親)を、献身的に介護する姿も印象に残るもの。

口腔ケア、入浴、カテーテル交換、摘便…。介護技術はプロの医療関係者を上回り、著者の実家が看護師の新人研修の見学先になったほどなのですが、愛情だけではなく、身体を突き動かす信念のようなものがないと、到底できないことです。

入院した妻に対する看護師の酷い扱いに我慢ならず、涙ながらに抗議する場面は胸に迫るものがありました。

妻は亡くなってしまいますが、介護は夫婦にとって特別なものだったに違いありません。

本書で描かれているそれぞれの家族の、在宅だからこそ得られた「幸せな最期」は強く心に残るものです。

けれど在宅看護には、医療スタッフのサポートはもちろん、家族の理解は不可欠。大なり小なり負担も避けて通れません。

在宅での最期は多くの人が望むことかもしれませんが、家族のことを考えると、自分だったら病院を選びそうです。

もっとも、診療所の医師によれば「人はたいてい生きてきたように死ぬ」とのこと。

そうだとすると、「平穏な最期」を迎えるためには、迎え方をあれこれ考えるより、心穏やかに日々を過ごすことの方が大事ということになるのでしょう。

今から心がけていけば、私もまだ何とか間に合うかもしれません。

『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』を読みました。

孤塁 双葉郡消防士たちの3.11

2020年7冊目の読書レポートは『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(著 吉田千亜/岩波書店/初版2020年1月29日)。書店で目にして、手に取りました。

東日本大震災から間もなく9年。時間とともに記憶は薄れていきますが、3月11日が近づくと、あのときのことが改めて思い起されてきます。

本書は、大地震発生直後から繰り広げられた、福島原発の地元「福島県双葉消防本部」の消防士たちの活動を、66名の消防士の証言をもとに綴ったノンフィクション。

未曾有の災害と、考えてもいなかった原発事故を前に、命がけで職務を全うした消防士たちの姿が、著者の丹念な取材を通して克明に描かれています。

混乱が続く被災現場と相次ぐ救助要請、けれど届かない情報と不足する装備や食料。仕事の使命感・責任感と、自分の命や家族への思いから生まれる強い葛藤。次第に襲ってくる孤独感と絶望感、そして目に見えない放射能の恐怖。

状況は過酷を極めていますが、それにもかかわらず、不眠不休で、一人でも多くの人助けようと奮闘する消防士たちに、胸は熱くなり、頭が下がるばかりでした。

もっとも、屈強な消防士も一人の人間。

16時間にも及ぶ救急搬送後、上司から労いの言葉をかけられ思わず涙する。原子炉の冷却要請の話に、吐き気をもよおし、その場に倒れる。人知れず妻や友人あての遺書を携帯メールに打ち込み、いざというときに備える。原発に向かう同僚隊員の装備を、涙しながら手伝う…。

張り詰めた現場だけに、その様子は切なく、言葉を失います。

そして、消防士であるために、家族より他人を優先しなければならないジレンマと、それを受け入れなければならない家族の心情も、胸にしみるものです。

慌ただしい避難の痕跡を見て、自分が導き、守ることができなかった家族の恐怖や苦労を察し、声をあげて泣く消防士。

消防士の父親を前に、自分の気持ちを抑え、幼い弟を諭しながら気丈にふるまう兄。

息子のため実家に残した一個の牛丼、その牛丼に貼られた付箋に書いてあった父親の「頑張れ」の文字、そしてその牛丼を泣きながら食べる消防士。

家族の間で行き交う深い思いにふれ、目頭が熱くなってきました。

ところで、原発事故の際、自衛隊のヘリコプターと東京消防庁のハイパーレスキュー隊の活動は大々的に報道されました。

けれど、双葉消防本部の活動が報道されることはなく(私も本書で初めて知りました)、消防士の中には、つらい思いをした人もいたようです。

もちろん、自衛隊も、ハイパーレスキュー隊も、大変な思いで出動したのでしょうし、地震発生直後から、各地の被災現場では、同じように懸命な活動が行われたことは間違いありません。

けれど、放射能の恐怖を肌で感じながら地元を守ろうとしたのは、この双葉消防本部の消防士たちだけ。

決して英雄視するものではありませんが、本書によって明らかになった彼らの苦闘は、これからの教訓となるだけでなく、原発のあり方を考えるうえでも、大きな意味を持つはずです。

本書が、多くの人によって読み継がれることを願って止みません。