えむと、メモランダム

読んだ本と出来事あれこれ

『オフコース・クラシックス・コンサート 2022』

昨夜(30日)日本武道館で開催された『オフコース・クラシックス・コンサート 2022』に行ってきました。

『オフコース・クラシックス・コンサート』は、作曲家の服部隆之さんが音楽監督を務め、実力派のアーティストが、服部さん指揮するオーケストラをバックに、服部さんアレンジのオフコースの名曲を歌うトリビュートコンサート。

昨年秋に、『オフコース・クラシックス・コンサート 2021』に行ったばかりですが、今回の公演は、40年前、オフコースのラストコンサートが行われた同じ日に、同じ場所で、同じ曲目を、オーケストラ・アレンジで再現するという特別なイベント。

どうしても見過ごすことはできず、いの一番でチケットを申し込み、運よく入手できました。(特典で「バスタオル」をもらいました)

特典のバスタオル

昨日の出演者は、稲垣潤一、辛島美登里、CHEMISTRY、さかいゆう、佐藤竹善、ソン・シギョン、中川晃教、NOKKO 、Ms.OOJA 、矢井田瞳の皆さん。いずれ劣らぬメンバーです。

コンサートの第一部で歌われたのは、ラストコンサーのセットリストそのままで、
『メインストリートを突っ走れ』(佐藤)
『君を待つ渚』(さかい&佐藤)
『夜はふたりで』(稲垣)
『さよなら』(NOKKO)
『心はなれて』(辛島)
『言葉にできない』(CHEMISTRY)
『一億の夜を超えて』(中川)
『YES-NO』(ソン・シギョン)
『愛を止めないで』(NOKKO)
『I LOVE YOU』(Ms.OOJA)

そして後半の第二部で歌われたのは、
『いくつもの星の下で』(中川&さかい)
『時に愛は』(稲垣)
『秋の気配』(辛島&矢井田)
『生まれ来る子供たちのために』(佐藤)
『愛の中へ』(矢井田)
『君住む町へ』(ソン・シギョン)
『眠れぬ夜』(CHEMISTRY)と続き、ラストは全員で『YES-YES-YES』

オリジナルの素晴らしさがあってこそですが、アーティストそれぞれのスタイルで歌われる「オフコース」も聴きごたえ十分。

ステージに流される映像や、多彩な照明演出も相まって、それぞれの熱唱にすっかり心を奪われてしまいました。

会場は私と同じくらいの世代の方が多く、ご夫婦連れの姿もチラホラ。半世紀に渡り歌い継がれ、愛され続けるというのは、そうそうあることではないでしょう。

オフコースの作品に、若い頃の思い出がたくさん詰まっているのは、私だけではないようです。

『砂まみれの名将 野村克也の1140日』を読みました。

読書ノート2022年No.16は、『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(著 加藤弘士/新潮社/初版2022年3月15日)

ウィキペディアで調べたところ、野村克也氏の著書は、共著を含めると150冊以上ありました。

作家も顔負けですが、他の著者が書いた本を含めれば「ノムラ本」はもっと多いはずです。

本書は、野村氏の番記者であった著者が、「ノムラ本」には登場しない、社会人チーム・シダックスの監督時代の姿を綴ったノンフィクション。

不本意ともいえる阪神の監督辞任から1年後の2002年、シダックスの志太会長に頼まれ監督に就任してから、楽天の監督としてプロ野球に復帰するまでの3年間を追いながら、野村氏の野球人生の大切な一ページが描かれています。

テスト生として南海に入団し、球史に残る名選手となり、監督としても手腕を発揮。

言うまでもなく、野村氏は日本のプロ野球界を代表する人物ですが、私自身は「ID野球」と「ぼやき」の印象しかなく、シダックスの監督を務めたことも、本書で思い出したくらいです。

ところが、監督就任で野球への思いに火がつき、シダックスを日本一にするために、砂埃が舞うグラウンドで熱心に指導する野村氏。

その一方で、説得力ある言葉や、厳しさの中に愛情を感じる人柄にふれて野村氏を慕うようになり、監督の胴上げを心に、練習に励み、座学で学び、試合に臨む選手たち。

その光景は、プロ野球で見ていた「野村監督」からは想像できないものでした。

しかも、決して偉ぶらず、選手・コーチと同じ目線で話をする。

トイレで一緒に用を足しながら、独り言を言うふりをして盗塁を失敗した選手に声をかける。

都市対抗野球の決勝戦で敗れたあと、自分の継投ミスを率直に認め、選手に詫びる…。

そんな野村氏の姿は、私のイメージを見事に打ち砕き、懐の深さと、心の機微を察する優しさが強く心に残りました。

野村氏の魅力は、自身の生い立ちと経歴に関係しているのかもしれませんが、著者もその魅力に引き込まれた一人に違いありません。

本書では「選手を育てる上で一番大切なのは愛だ。愛なくして人は育たない」という野村氏の言葉が紹介されています。

シダックス時代の3年間は、まさに欲を捨て、愛情とともに選手を鍛えたはずで、野球の楽しさと、教える喜びを実感したことでしょう。

だからこそ、野村氏の口から「あの頃が一番楽しかった」という言葉が出てきたのだと思います。

シダックスの送別会で、野村氏は挨拶の途中、志太会長に恩返しできなかった悔いからか、突然しゃくり上げ、人目も憚らず涙したそうです。

知将らしからぬ姿が目に浮かび、胸が熱くなりました。

『命のクルーズ』を読みました。

読書ノート2022年No.15は、『命のクルーズ』(著 高梨ゆき子/講談社/初版2022年3月31日/装幀 大久保伸子)

本書は、新型コロナウイルスの集団感染が起きた、大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の救援活動の実態を描いたノンフィクション。

読売新聞の編集委員である著者が、活動の中心であったDMAT(災害派遣医療チーム)の医師たち、医療関係者、クルーズ船の乗客・乗員を取材し、船の中で何が起き、救援活動がどのように進んだのか、その事実を明らかにしたものです。

ダイヤモンド・プリンセスの乗客の感染が初めて報じられたのは2020年2月。

その頃日本の感染者はまだわずかで、集団感染といってもどこか他人事のように見ていた記憶があります。

しかも、神戸大学の岩田教授が投稿した「告発動画」がきっかけで救援活動に対する批判が高まってからは、詳しい事情も知らないくせに、自分も同じような気持ちになっていました。

ところが本書によれば、DMATは、自然災害の被災地域で活動するボランティアの医師たちであり、そもそも集団感染の起きた現場で仕事をするのは筋違いであったこと。

当初の目的は、あくまで船外での「患者の搬送」であったのが、感染拡大で船内での救援活動に従事せざるを得なくなったこと。

未知のウィルスに対する不安と葛藤、勤務先の病院との軋轢を抱えながらも、乗客と乗員の窮状を救うために、混乱を極める船内で献身的な活動を繰り広げたこと。

DMATなくして救援活動は立ち行かず、自身の使命を胸に、懸命に取り組む医師たちの姿を本書で目の当たりにして、頭を下げるしかありませんでした。

ところでこの救援活動は、「告発動画」の影響もあり、失敗したかのように思われがちです。

けれど、櫻井滋・岩手医科大学教授の話によれば、「検疫が始まる前に感染した人の検査が進んで、陽性が判明していく過程を、国民は見ていた」とのこと。

そうであれば決して失敗とは言えないはずですが、指摘された事実を知る人は限られている気がします。

DMATの一人は、「告発動画」のせいで救援活動に批判が高まる中、「なんで俺が、ワイドショーに非難されなきゃいけないんだ」と思ったそうです。

想像もつかない困難があったのに、それが考慮されることなく、謂れのないバッシングを受ける。

医師たちの胸中を察すると心が痛みましたが、私もバッシングをした側と似たり寄ったりだったはずで、それを思うと複雑な気持ちになってしまいます。

本書によれば、ボランティアを基本とする日本のDMATのやり方は、海外では“クレイジー”だそうです。

この先、新しいパンデミックがいつ起きないとも限らないだけに、この集団感染を教訓にして組織のあり方を検討し、次への備えを固めることは急務でしょう。

それは、この惨事で犠牲になった方々に対する責任でもあるはずです。