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『フォト・ドキュメンタリー 朝鮮に渡った「日本人妻」―60年の記憶』を読みました

フォト・ドキュメンタリー 朝鮮に渡った「日本人妻」: 60年の記憶 (岩波新書 新赤版 1782)

2019年36冊目の読書レポートは、『フォト・ドキュメンタリー 朝鮮に渡った「日本人妻」―60年の記憶』(著 林典子/岩波新書 初版2019年6月20日)。書店で目にして手に取りました。

著者はフォトジャーナリスト。2013年から18年にかけて11回にわたり訪朝し、1959年に始まった「北朝鮮帰国事業」によって、夫に同行して北朝鮮に渡った日本人女性と、敗戦後、朝鮮で家族と生き別れ、朝鮮人夫婦に引き取られた日本人女性を取材してきました。

本書は、それをまとめたルポルタージュ。本人や家族のインタビューと、著者の撮影したものも含め数多くの写真から、人生の大半を北朝鮮で過ごした日本人妻たちと残留日本人女性の歩んできた道をたどるものです。

「北朝鮮帰国事業」というと、もうかなり昔、テレビで観た吉永小百合さんの主演映画『キューポラのある街』が頭に浮かんできます。

当初日本では、この事業は“人道主義”的なものとして捉えられ、概して好意的だったとのこと。映画に映し出される北朝鮮に渡る人々の熱気、それを見る日本人の眼差しは印象的で、今でも心に残っています。

もっとも、たとえそうであったとしても、日本人が北朝鮮で暮らすということは当時でも大変なこと。すんなりと受け入れられるはずはありません。まして女性たちは周囲の反対を押し切り朝鮮人と結婚した身。そのうえ北朝鮮に行くとなれば、大きな軋轢があったことは容易に想像できます。

しかし、本書に登場する日本人妻たちからは、北朝鮮に渡ったことに“後悔”は感じられません。

それは、夫と育んできた愛情と信頼が心の支えであった日本人妻からすれば、夫に同行しないという選択肢はあり得ず、また他の日本人妻に比べれば恵まれていて、北朝鮮での様々な困難、辛い経験を何とか乗り越えることができたからかもしれません。(「地上の楽園」という言葉に騙されたという思いを持ち続けた人もいて、北朝鮮での日本人妻の境遇は様々だったようです)

ただし女性たちも、その後日本に戻れなくなるとは、思ってもみなかったことでしょう。日本人妻たちの間には、3年後には日朝間で行き来できるようになるという認識があったそうですが、それは叶わないことになりました。

それだけに、口には出さないものの、異国の地で抱き続けてきた日本での思い出は、かけがえのないものであり、望郷の思いは深いに違いありません。

著者の取材が終わった別れ際、「行かないで」と日本人妻が著者の手を握り締める場面は胸に迫り、写真に写る日本人妻の少しさみしげな表情は、目に焼き付いたままです。

1984年まで25年間続いた帰国事業で、北朝鮮に渡ったのは日本人約7千人を含め9万3千人余り。本書によると、そのうち「日本人妻」は約1千8百人。

しかし事業開始から60年が経ち、海を渡った日本人妻の多くがすでに亡くなっているそうで(著者の取材中にも亡くなられた方がいます)、このままでは、「日本人妻」は忘れ去られてしまうかもしれません。

日朝関係は政治的に厳しいものがありますが、家族の幸せをひたすら願って北朝鮮に渡った日本人妻たちには関係ないこと。現状では可能性はないに等しいとしても、1997年に行なわれた「里帰り事業」が復活し、もう一度日本の地を踏める日が来てほしいと願わずにいられません。