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『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』を読みました

 軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

2018年44冊目の読了は、『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(松本 創/東洋経済新報社 初版2018年4月19日)。書店で目にして、手に取りました。

自分の記憶に残る大きな事件・事故はいくつかありますが、2005年4月に起きたJR西日本福知山線での脱線事故もそのひとつです。快速電車がカーブを曲がりきれず脱線し、線路脇のマンションに激突。死亡者107名、負傷者562名という大惨事となりました。そのときの光景は今も脳裏に焼きついていますが、「日勤教育」という言葉が当時話題になったことも覚えています。

本書は、この事故で妻と妹を亡くし、娘が重傷を負った都市計画コンサルタント淺野弥三一氏のJR西日本との十数年に渡る闘いの軌跡を、ノンフィクションライターである著者が丁寧に綴ったものです。

淺野氏は、事故直後、愛する人との突然の離別から喪失感に襲われます。しかし、事故は「運転士のミス」だとするJR西日本の主張に納得せず、“遺族の社会的責務”だとして、自らが先頭に立って、JR西日本に対し原因の検証と説明、組織の変革、安全体制の構築を求めることになります。

“遺族の社会的責務”は、淺野氏が思わず発した言葉です。原因究明の責任を遺族が負うというのは理屈に合いませんが、「非常に硬直した、官僚主義の、表面上の言葉とは裏腹に、本質的な部分では自分たちの責任や誤りを決して認めず、絶対に譲歩しない組織」であるJR西日本と闘っていくという淺野氏の覚悟であったのかもしれません。

JR西日本との交渉は難航しますが、2006年にJR西日本の社長に就任した山崎正夫氏との出会いにより事態が変化。さまざまな曲折を経ながら、遺族とJR西日本による事故の共同検証が行われることになり、そこでの議論を通して、淺野氏の思いが結実していくことになります。

言葉にすると簡単ですが、道のりの厳しさは並大抵ではなかったはずです。共同検証の結果が2冊の報告書にまとめられ、会合の席で、淺野氏が事故のことと「なぜ」を問い続けた9年間を語る場面がありますが、淺野氏の長かった日々が思い起こされ、胸に迫るものがありました。

本書には、JR西日本の「天皇」と呼ばれ、事故当時は相談役だった井出正敬氏のインタビューが収録されています。井出氏は、事故は個人の責任であり、会社の責任、組織の責任などあり得ないという主張を今も崩しておらず、それは、当時のJR西日本の安全教育のベースにもなっていました。

個人より組織が大切、問題が起きても責任は組織ではなく個人が負うというのは、JR西日本に限らず、日本の企業・官公庁ではよく目にすることです。しかも、組織の力は底知れず、その体質は簡単に変わるものではありません。

そう考えると、対話を重ねながら“組織の常識”に風穴をあけ、JR西日本の安全思想を根底から変えた淺野氏の尽力には頭が下がります。淺野氏によって刻まれた貴重な道筋ですが、得体の知れないものに消されることなく、いつまでも続いてほしいと願うばかりです。

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