えむと、メモランダム

読み散らした本と出来事あれこれ

『社会思想としてのクラシック音楽』を読みました。

社会思想としてのクラシック音楽 (新潮選書)

2021年23冊目の読書レポートは『社会思想としてのクラシック音楽』(著 猪木武徳/新潮選書/初版2021年5月25日)。書店で目にして手に取りました。

クラシック音楽を聴くのは、私の数少ない趣味のひとつ。このブログでも、出かけたコンサートのことを時折書いています。

本書は、社会思想や政治経済の視点から、18世紀から20世紀半ばまでのクラシック音楽の歴史を考察するもの。

高名な経済学者であり、クラシック音楽にも造詣が深い著者が、数多くの作曲家、楽曲、演奏家を取り上げて、政治・経済・社会―とりわけデモクラシーとの関係を論じています。

クラシック音楽ファンの端くれとはいえ、バロック音楽から古典派、ロマン派といった流れや、それぞれを代表する作曲家と作品は、ある程度知っていますが、音楽はあくまで聴くことが目的。音楽を社会科学と対比して考えるなど思いもしないことです。

それだけに、著者の話は刺激的で、頭を揺り動かすもの。

デモクラシーの浸透により、芸術は「匿名」から「個性」へ、音楽の“場所”は「教会」から「劇場」へ、音楽の向かう方向は、垂直上方(わが神)から水平方向(人間・世間)に変化した。

作品の規模が大きくなり、演奏技術が高度化してくると、主従関係や依存関係が生まれ、デモクラシー社会と同様に“秩序ある統治”が求められるようになる。

複製技術は音楽を楽しむ人の数を増やし、民主化をもたらしたが、無制約な平等化は「隷属の精神」を生み出しかねない。

デモクラシーが、自律性ある個人の存在を「大衆」の中で見失わせるように、ワーグナーの音楽は「大衆」を酔わせる「毒」を含んでいる。

「個人化」のもとで味わう感動は、近代の音楽の歴史の中で味わってきた緊張感や一緒に感動する「共感」とは性格が異なる…。

決して易しい内容とはいえませんが、深い洞察と示唆に富んだ話にすっかり引き付けられ、特に、繰り返し語られる“デモクラシーの危うさ”は強く心に残りました。

著者は、「いま、わたし」に関心を集中させがちなデモクラシー社会にとって重要な柱は、「未来、他者」に思いを致す公共精神であり、それは、芸術が人々の精神的な渇きを癒す力を持ち続けるために、また全体主義やポピュリズムに陥らないためにも、大切だと説いています。

著者の切実な言葉は胸に刺さりますが、“他者への思い”は、デモクラシー社会に限らず、共生社会の実現や、コロナに苦しむ今の社会にとっても、忘れてはならないものです。